» 誠Style »

上海スタイル――現代アートで見る「上海の今」
上海スタイル 〜プロローグ〜

 冬の上海へ行くのは初めてだった。

 「上海の冬は寒いよ」――上海へ行ったことのある友人や中国人の知人らから忠告され、ムートンの毛皮とロングブーツという完全防寒スタイルで日本を発った。浦東空港へ降りると、思っていたよりも温かい。気温は摂氏7度、東京とそう変わらない寒さにほっとひと息ついた。

 けれども、空港の銀行で人民元に両替して大ショック! 何と、レートが1万円につき約610元なのである。確か、昨年11月に中国へ行った時は660元、一昨年は700元以上だったはず。

 外資系の高級ホテルやブランドショップが建ち並ぶ上海だが、庶民的な衣食住はまだまだ安く、100元の使い出は大きい。地下鉄の運賃は2〜4元ほどだし、タクシーの初乗りは11元、その辺の食堂に入ればお腹いっぱい食べても充分におつりが来る金額なのだ。嗚呼、こんなことなら、去年行った時にもっと両替しておけばよかった。

新天地

 ……と、たかだか50元や100元のことでショボく嘆いている自分が“小日本人”に感じるほど、上海の発展は目まぐるしい。租界時代の建物を蘇らせた人気のエリア「新天地」では、物価の高さに驚いた。ほとんどのブランドショップの商品の価格はSALE品でも日本のものより高く、観光地としての新鮮味も薄れている印象を受けた。歩いているのは観光客とおぼしき人や外国人ばかりで、「上海の人は、ここで買い物してるわけ?」と現地のキャリアウーマンに聞いたところ、月収1万元以上のホワイトカラー層の多くは「中国にはいいものは少ないし高い」と、海外へショッピングに行くのだとか。

アートエリア「莫干山路50号」

 そんな上海で急速に発展しているエリアが、上海のソーホーとも呼ばれているアートエリア「莫干山路50号」――別名「M50」なのだそう。ここわずか1〜2年で急激に知名度が伸びて開発が進み、行くたびに新しい顔が見られると現地のライターから聞いて、さっそく訪れてみることにした。

寂れた廃墟に芽生えた“中国的モダンアート”

 「莫干山路50号」は、普陀区の蘇州河沿いにある。1930年代のイギリス統治から日本の統治を経た後は、中国最大の資本家である宗家と孫家らの産業集積地となった。綿の紡績業が営まれ、大きくうねった蘇州河に三方を囲まれるという恵まれた地形もあって産業は栄えたが、改革開放後は次第に寂れて廃墟化する。そこで1999年に4万平方メートルの敷地が貸し出されることとなり、最初に入居したのが中国人画家・薛松氏であった。荒野にまかれた一粒の種子が大地に根を生やしたように、そこから「莫干山路50号」の歴史が始まったのである――。

莫干山路50号

 実際に訪れてみると、周辺の環境とのギャップにまず驚く。

 かつて蘇州河両岸は、ゴミ堆積場が置かれ、都市部から運搬船が往来する地区でもあった。現在は上海市政府の重点実施工程として環境整備や再開発が進んでいるが、それでも周辺地区は路肩にゴミが転がって砂埃が舞い、どこか荒れた風景である。タクシーに乗っていて、「ここにほんとうにオシャレな場所があるのだろうか……」と不安がMAXになる頃(というのは大袈裟だけれど)、唐突にセンスの良い建築物が現れる。ああ、よかった(笑)。水の流れているモニュメントが入り口の目印のようで、そこから中へ入っていく。ギャラリーだけではなく、カフェや洋服のショップなどもあるようだ。

 どこへ行ったらいいものやらよくわからないので、まずは左手にある工場跡地に入ってみる。薄暗くガランとした廊下を歩いていくと、並んでいる部屋のそれぞれがすべてギャラリーであることに気づく。外から作品を眺めてみて、気になった作品が展示されているギャラリーにフラリと入ってみる。中は外から見るより意外と奥行きがあり、小部屋が連なっている。誰もいないので奥まで進んでいくとアトリエがあり、作業をしている人の姿があった。

「ニーハオ」

 小声で会釈すると、ひんやりとしたコンクリートの壁に声が響いた。

 ギャラリーを出て更に廊下を進むと、建物の外に出て視界が開けた。鉄でできた外階段に洗濯物がかけられている。一瞬これもアートかと思ったのだが、どうやらそうではないらしい。側には長屋のような建物があり、作業着を着た男性が出入りして作業している。まだここで実際に生活を営んでいる人がいるのだ! 外壁を彩るアート、北風にはためく色あせた洗濯物、対岸の高層マンション……このシュールな光景こそが、まさに“上海の今”である。

写  真:永山昌克
取材・文:似鳥陽子