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類稀なる美の楽園・コロンス島
楽園・コロンス島

 旅の大きな楽しみのひとつは食事である。普段は3食きっちりと食べていなくとも、旅先では朝食がスルリと入ってしまうのが摩訶不思議。
 次の日の朝、まずは飲茶を腹ごしらえに。足を運んだのは、地元民にも大人気の高級店「潮福城」。朝8時のOPENに合わせて行ったのに、既に厦門のグルマンたちがゆったりと朝食をとっている盛況ぶりである。ドリアンパイなど、南国ならではのメニューも新鮮!

 デザートをお腹に詰め込んだあとは厦門港へ。
 コロンス島と港を往復するフェリーは24時間運行している。夜間〜明け方までは1時間に1本だが、通勤の足にも使われている日中のコアタイムでは、10分に1本運行するため全く不便はない。
 港からコロンス島(鼓浪嶼島の福建語の呼び方)の運賃は往復8元。2階の特等席はプラス1元(片道)。船が来るのを待合いスペースで待っていながら思ったのだが、厦門では、中国の各地で当たり前に見られる生き馬の目を抜くような割り込みや喧噪があまりない。

島と厦門港をつなぐフェリーは、乗船時間わずか10分ほどで向こう岸に着く(写真左)、電動カート(50元)は、一般車両の乗り入れが禁じられている島で唯一の交通機関だ。対岸に見えるのは厦門の街(写真右)

 港へ着き、まずはガイド(日本語対応可!)をお願いして電動カートに乗り込み、島をぐるりと一周。厦門港周辺の近代的な高層ビルの風景から一転し、経済特区、白砂のビーチへと変わっていく。
 「コロンス島の人口は現在1万6千人。音楽学校があり、3世帯にひとつがピアノを持っています。島を歩いていると常にどこからかピアノの音色が聞こえてくるため、別名“音楽の島”とも言われています」とガイドさん。島に住むのは許可が必要で審査が厳しく、厦門の人にとって、コロンス島に住むのはステイタスなのだそう。

島には5つのビーチがあり年中泳ぐことができる。太平洋側のビーチはプライベートビーチのような静けさで穴場!(写真左)、福建省出身の父と日本人の母を持つ、明末の英雄・鄭成功の石像。この石像が睨みを効かせているため、厦門は台風の直撃を免れていると地元の人は信じている(写真右)
島まるごと天然テーマパーク

 カートから降りて、島を散策してみた。パステルカラーに彩られた洋館や別荘が並び、島と厦門市街を一望できる日光岩、ロープウェー、史跡や博物館、4つ星のリゾートホテルなど、わずか1.78平方キロメートルの面積の中に、島ひとつがテーマパークであるかのように、様々な施設や見所が凝縮している。それもそのはずで、コロンス島は1902年に共同租界として定められ、小さな島の中に、なんと日本・アメリカ・イギリス・スペイン・オランダ・ドイツ・ポルトガル……など各国の領事館が密集していたのだそう! 諸外国にとっても、それだけ魅力的な島だったのだろう。

丘の上にあるリゾートホテル「海上花園飯店」はコロニアルムードに溢れたドラマティックな外観(写真左)、現在は教授宿舎となっている元日本総領事館(写真右)

 石畳の道を歩いていると、ガイドの言葉通り、開け放たれた洋館の窓からピアノの音色が響いてくる。小鳥のさえずりとのハーモニーに優雅な気分。
 それにしても、「なぜこの小さな島が“音楽島”に……?」と、不思議に思って聞いてみた。
 「現地の人にピアノが伝わったのは、島に建てられた教会がはじまりです。賛美歌の伴奏として島民に親しまれ、植民地統治が終わったあとも、そのまま文化として残ったのです」
 なるほど、「世界に向けて数々の音楽家を輩出するようになったのは、植民地統治の名残りともいえるのね」と、ちょこっと感傷に浸りながら歩いていると、日本領事館の跡地があった。バルコニーには洗濯物がはためいている。現在は音楽学校の教授の宿舎として使われているのだそう。かつての統治のシンボルも、時を隔てた現代では、すっかり生活の場として機能しているのである。

島の入り口にある市場では、フカヒレや干物、民芸品やお茶などのおみやげ品のほか、色とりどりのフルーツも。囓りながらの散策も楽しい(写真左)、島の全景を一望できる日光岩。ロープウェーか徒歩で登ることができる。起伏に富んだ地形のため、小さな島ながらバラエティに富んだ景観である(写真右)

 もうひとつ持っていた疑問も聞いてみた。
 「なぜ同じ中国でも、厦門は物静かな人が多いんですか?」
 「かつても今もコロンス島の人々は音楽を愛し、豊かで穏やかな生活を送ってきました。コロンス島は厦門の真珠であり、誇りだからですよ。けれども……福建は騒々しい人が多いですけどね(笑)」
 むむっ、福建といえば、厦門のすぐお隣の都市である。そういえば今まで訪れた中国の都市でも、重慶と成都や、北京と上海など、隣接している都市や、規模が似ている都市は、互いにライバル意識が強かった。日本でいうと静岡と山梨みたいなものだろうか。

 フェリー乗り場へ戻ってくると「金門島行きの船に乗らないか」と、客引きのおじさんに誘われた。
 「なぬっ、金門島とは、現在は台湾領なのでは? 厦門から行けるの!?」と、興奮と当惑とで頭の中にクエスチョンが湧き上がったが、ここは乗りかかった船(まだ乗っていないけれど)とばかりに乗船することに。お代は100元とのこと。なかなかいいお値段である……。

取材・文/似鳥 陽子
撮影/永山 昌克