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被災者を支える、地元ケーブルテレビの死闘 (前編)(1/4 ページ)

» 2004年11月09日 19時47分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 筆者は放送プロとして、ビデオ編集という仕事に従事してから今年で22年になる。今まではその仕事とモノカキという二足のわらじを履いてきたわけだが、実は2〜3年前から既に、モノカキだけでもなんとか暮らしていけるようになっている。あまり実態を伴わなくなってきた「現役編集マン」の看板を、そろそろ下ろすべきなのかな、と思うようになってきた。

 そんな時、ケーブルテレビ事業者が任意で参加しているメーリングリストから、ケーブル局の中で今回の新潟中越地震の震源地に最も近い、長岡市の(株)エヌ・シィ・ティ(以下NCT)で、編集マンと編集機が足りなくて困っているという事情を知った。NCTは、キー局では既に見放した地元の震災対策情報を、今も自力で放送し続けているという。

 「義を見てせざるは勇無きなり」という。どうせ現役引退を宣言するなら、最後に人の役にたって終わりたい。11月6〜7日、土日を利用して、ボランティアで長岡のNCTに編集の応援に行くことに決めた。

 当然、妻は反対した。まだあんなに余震があるのに? 仕事忙しいのに? ノーギャラで? だが出かける朝には、何かのときの現金と、笑顔を用意してくれた。

 編集機もないということで、今ではすっかり原稿書き用のマシンとなっているバイオ RZ62と、カノープス DVRex-RT、同Edius 2.5のセットを外して持っていく。PCの液晶モニタやビデオ用マスタモニタなども、向こうで借りなくても良いようにフルセットである。

 車への機材積み込みは、上の娘が手伝ってくれた。

 「とうちゃんはなにしに新潟に行くの?」

 「困っている人を助けに行くんだよ。」

 「……今度のお休みは遊んでね。」

 そう言えば、今日は父親参観日だった。幼稚園から今までで、初めて休むことになる。

長岡市到着

 ここで地理関係をざっと説明しておこう。といっても文章ではなかなか限界があるので、ここではざっくり東京から新潟へ向かう関越自動車道のインターで解説しておく。

 新潟県に入ってすぐが、スキー場や温泉で知られる湯沢。そこから順に長岡までは、以下の順になる。

 湯沢 - 塩沢石打 - 六日町 - 小出 - 堀之内 - 越後川口 - 小千谷 - 長岡

 小千谷は、報道などでよく聞く名前だろう。もっとも被害が大きく、全村民が避難した山古志村は、小千谷市からそう遠くない東に位置している。関越道は、小出から長岡まで長らく通行止めになっていたが、11月5日に一般車両も通行可能になった。ただ今回の地震が頻発している断層を横切ることになるので、今後の余震次第ではまた通行止めになる可能性もある。

 現地からのアドバイスもあり、関越ではなく上越自動車道、長野経由で長岡に入ることにする。かなり大回りだが、関越の途中で通行止めになって下の道に降ろされたら、何時に到着できるかわからない。

 毎回、自然災害のマスコミ報道に関しては批判が多い。特に今回、大きな余震では首都圏でもかなり揺れるため、関心が高いということもあるだろう。被害の大きなところだけをピックアップして悲惨さを強調するマスコミの報道は、そこらじゅう一帯が全部そんな状況なのかといった誤解を生む。さらに土地勘のないものが、普段の状況との違いを無視して、自分たちの常識の範囲で伝えてしまうことも、現地とのギャップを大きくしてしまう。

 今回の震災直後には、ありとあらゆるマスコミが食い物が足りないと報道したものだから、日本中から一斉にパンやおにぎりなどが届けられて、役所にあふれかえったという。

 保存する場所がなければ、生の食料は日持ちしない。必要なのは、一日で消費できる一定量の支援が長期間続くことで、同時に数週間分も届いても、食べきれなければ食中毒などの二次災害を防ぐために、捨てるしかない。これも援助の仕方が悪いとボランティアを責めるより、悪いのはマスコミの伝え方だろう。

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