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表現機としてのビデオカメラ、次のステップ小寺信良(3/3 ページ)

» 2006年06月26日 10時35分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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ビデオカメラの因習

 もう1つの問題は、今のビデオカメラの機能が、あまりにも因習にとらわれすぎている点である。従来の機能でも、見せ方の違いでもっと積極的な意味になるはずだ。例えばホワイトバランスのプリセットは、オート、晴れ、くもり、室内、マニュアルといったところが一般的だろうか。

 しかしホワイトバランスの機能は、上手く使えばカラーフィルタとして機能する。メタリックな質感を青く撮りたい、風景を暖色で撮りたいと思ったときに、もっと積極的に使えるはずである。一部のビデオカメラには、ホワイトバランスシフト機能が付けられているが、若干の補正程度の可変範囲しかなく、積極的に絵のトーンを支配するといった使い方ができない。

 そもそも、どのシチュエーションでも適切なホワイトバランスでなければならないという考え方は、報道の現場から来たものだ。つまりカメラを回しっぱなしで被写体を追いかけ、室内でも屋外でもビデオライト点けてもそこそこ見られる絵にしてくれ、というところが発端となっている。

 だが、いい絵を撮ろうとした場合、すべての状況でフラットなバランスが果たして正しいのか。答は言うまでもない。記録映像と報道は違うものなのである。

 因習にとらわれている部分には、比較的最近のものもある。例えば映像がサイコロになったり、球体になったり、全面モザイクになったりといったデジタルエフェクトを、一体誰が使うだろう。筆者は一度しかない撮影チャンスに、そんなことをして収録映像を汚す人の心理がまったく理解できない。

 やろうと思えば、編集でいくらでもできる。そんなもの、現場では使わないのだ。だがカメラメーカーは、処理プロセッサのパワーが余っているからという理由で、その機能を付け続けている。その余力があるのなら、もっと測距、測光などの映像解析や、カラープロファイリング、あるいはメタデータを作成するといった、将来性のある方向に使うべきだろう。

 またデジタルズームも、ビデオカメラには意味のない機能だ。デジカメのデジタルズームと違い、ビデオの場合は解像度を固定しなければならない。デジタル拡大するれば決して美しい映像にはならないことは分かり切っているのに、光学ズームと掛け合わせた無意味な倍率が、レンズの横に誇らしげに記されている。

 絵がめちゃくちゃになろうが、スペック表で100倍を謳いたいだけのような使い道のないデジタルズームは、消費者がもっと積極的にNOと言わなければならない。それよりも撮像素子の余裕分を使ってワイド端を広げたり、画素補間を使って解像度に影響を与えない許容範囲を探るような努力のほうを、積極的に評価すべきだ。

60iは本当にベストな選択か

 繰り返し言うが、家庭での記録映像には、テレビのナマナマしさなど必要ない。すなわちこれの意味するところは、果たして60iで撮るのが正しいのか、ということを考えてみるべき時に来ているということなのである。

 例えばテレビを見ていて、バラエティやニュースの生々しい映像と、映画やコマーシャルのイメージ的な映像のあいだに横たわる差とは、主に絵の時間解像度の違いであると気づく人は、案外多いのではないかと思う。放送フォーマットとしては60iでも、フィルムベースの映画は24P、コマーシャルは30Pの映像を60iに変換している。元の時間的解像度は、それぞれ24コマ/sと30コマ/sである。

 これは筆者の経験から言うことなのだが、この時間解像度の落とし具合が生々しさを押さえ、印象的な映像を作り出すのに大いに役立っているのではないか。すなわち「非ナマナマ」な映像であるがゆえに、現実のビジョンと混同せず、記憶に残りやすいという効果があるのではないかという気がする。言い換えれば、脳の記憶スピードに優しいコマ数なのではないか、と思うのだ。

 写真においては、「記憶色」なるものが脳内に存在するということが次第にわかってきた。それとはまた違った軸で、動画の「記憶コマ数」が脳内に存在するのではないか、という仮説である。

 もう1つの要素として、テレビの急速なプログレッシブ化は無視できない。ブラウン管そのものを日本で製造していないこともあって、今後ますますテレビのプログレッシブ化は強固なものになっていく。

 そこに対して、なぜ家庭用ビデオカメラが放送の基準であるインターレース記録に拘泥しなければならないのか。今ビデオカメラのCCDは、静止画機能に対応するため、ほとんどプログレッシブ型のものを採用している。つまり60Pで撮像して、記録時に60iにP-I変換するのである。

 記録時にうまくインターレース化できたとしても、今度はテレビのほうでまた逆にプログレッシブに変換を行なう。このときにうまく行かなければ、せっかくの映像も正確に復元できない。

 それならば、最初からプログレッシブのテレビで視聴することを前提に、30Pで記録するビデオカメラがあってもいいのではないか。出力時に60i変換すれば、多くのテレビでそのまま見ることができるし、仮にI-P変換でエラーが起きても、映像には影響が出ない。しかもコマ数は記憶に優しい30コマ/sの映像である。

 放送フォーマットは、多分に政治的理由で決まっただけであって、各家庭で使うものまでそれに迎合する必要はないのである。もはやそうなると「ビデオ」カメラではないかもしれないが、新しい世紀を見据えた動画のあり方があってもいいのだと思う。

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