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情報の消費行動がもたらすネットの変化小寺信良(3/3 ページ)

» 2006年08月28日 03時14分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 例えばカメラ修理には欠かせない潤滑油として、「ヘリコイドオイル」というのがある。正式には「光学用特殊グリース」というようだが、これは非常に高価だ。だが常連さんに言わせると、そんなものいらねぇ、ミシン油でいいんだと言う。いや今どきミシン油ってのをどこで買うんですかというと、じゃあ道具屋で売ってるホワイトグリスがいいとか、それもなきゃオロナインでいいとか、とにかくものすごいことを言い出す。

 この人たちが持つ経験値は膨大な情報量にのぼるわけだが、こんな話はまずネットでは見つけられない。そこに行かないと聞けない話、情報が集約している場所というのは、まだまだたくさんある。

別の方向から崩壊する情報検索

 もちろんネットの情報というのは、検索できるがゆえに人に合うよりも便利なことがあるのは事実である。つまり情報が集中しておらず拡散している状態から、知りたくなったときにイモヅル式に情報が釣れるというのは、サーチエンジンならではの情報の扱い方だろう。

 実は筆者がいろんな人の話を聞きたいと思い始めたのには、もう1つの理由がある。それは冒頭の話ともつながってくるのだが、最近は検索してヒットするのはblogが増えて、昔ながらの「サイト」という形式は少なくなってきているように思える。

 blogがジャーナリズムを変えるという意見は、ある時期において真実であった。だが日本では、blogのポリシーそのものが正確に伝わらず、お手軽写真日記自動構築システムみたいな形で定着した。もともと日本では、blogブームが米国から飛び火する直前に、公開日記ブームが存在したことも少なからぬ影響があっただろう。

 確かに一部のblogでは、電凸と称して省庁や関係団体、メーカーなどに、個人で電話取材を行ない、その模様をアップするところもある。これも1つのジャーナリズムの形と言えるのかもしれないが、結果的にそれが社会に良い影響を与えているかは疑問が残る。なぜならばこのようなやり方は、マスコミのもっとも傲慢な部分の模倣だからである。

 今のblogのあり方を否定したいわけではないが、どうも日本のblogは情報を長期保存したり、系統立ててまとめておくという形になりにくいようだ。読み手に対して説明するのではなく、自分だけがわかるモノローグ的な書き方であるから、誤解も生みやすい。以前であればこの程度の情報ならまとめサイトぐらいあるだろうといったものも、見あたらないという状態になりつつあるような気がする。

 つまりネット上でもある程度の情報集中があったものが、blogに多少の言及がある程度だったり、掲示板のlogとして存在するだけだったりと、拡散したままの状態で放置される傾向にあるのではないか。

 従ってこのような拡散した情報を検索でまとめ、自分なりになにかの意味を見いだすという、いわゆる企業のマーケティングの人やライターがやっているようなことを、ネット上の情報消費行動として普通にやらなければならなくなってくる。

 情報は人間を成長させるためにあるわけだが、今大きな流れとして、人間自体は成長しているものの、インターネットの元々の趣旨であった知識の共有が行なわれず、一部の人の中に沈殿するというサイクルに戻りつつあるのかもしれない。だから、面白い話を持っている人に直接合って話を聞く、ということが、今さらながら重要になるように思えるのである。

 拡散した情報と沈殿した情報、そのどちらも「知る」ことの面白さを満たしてくれる重要な要素だ。だがその基本はやはり「人」であり、人そのものの面白さには敵わない。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。

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