ITmedia NEWS >

「プロブロガー」は成立するか小寺信良(1/3 ページ)

» 2006年09月20日 06時21分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 すでに告知も出ている通り、+D Blogが9月一杯で終了する。

 筆者も書き手として+D Blogの開始当初、すなわち2005年9月からおよそ1年間に渡って書き続けてきた。筆者のブログは、PV(ページビュー)こそ本コラムには及ばないが、それほど悪くない数字であったと聞いているだけに、残念である。

 考えてみれば丁度1年前に+D Blogは、「ビジネスブログが新しい営業・販促ツールとなるのだ」、あるいは「アフェリエイトで楽々小遣い稼ぎ」みたいなかけ声盛んだった頃に、商業誌からの発信ツールとしてブログが成立するのか、の壮大な実験であったような気がする。

 ただ実際には商業誌であるがゆえに、書き手にはある程度のギャランティが発生するわけだし、表に出るものを使って支出以上の収益を上げていかなければならないわけで、有り体に言えば、PVは取れるんだけど広告による収益モデルとしては機能しなかった、ということなのである。

 +D Blogの失敗は、今後ITコンテンツの広告収益モデルを考える上でさまざまな課題を残し、また答えも残したように思う。今回は広告による収益モデルのあり方を考えてみたい。

露出あるところ広告あり

 広告とジャーナリズムの関係は、過去「新聞の時代」から答えが出ている。すなわち広告と記事は互いに独立したものであり、意図的な連動はしない、という考え方である。広告のありなしで事実を伏せるようなことがあれば、ジャーナリズムは成立しない。例えばA社の広告が載っている号に、同社のスキャンダルが載っていても、これはしょうがないわけである。

 テレビ産業も、システム的には新聞社の流れを汲む。元々制作現場でも、番組は番組、CMはCMで制作プロセスが全く異なっている。放送局の営業が番組枠内の広告枠を売り、スポンサーはその枠にCMを流し込む。番組は番組送出バンクから、CMはCM送出バンクから別々に出力され、マスターでスクリプトによってスイッチングされ、そこで初めて1つの連続したストリームとなる。

 一時はどこかの偉い人が、レコーダーでCMカットするのが著作権違反だなどと言い出したりして混迷を極めた。このことからもわかるように、露出がなければ広告による収益モデルは崩壊する。

 ところが元々広告というのは、露出を期待するものであるにもかかわらず、放送ではいっしょくたにコピーワンスをかけられている。マーケティング理論からすれば、コマーシャルはコピーフリーでなるべく多くの機会に複製され、伝播されなければならない。

 そこには著作権の侵害が起こるのではないかという人もあろう。だがそれもまた、ナンセンスである。なぜならば、著作権というのは元来、商売の利益が犯されないためのルールだからである。

 最近は著作権が基本的人権のような生得権であるかのような考え方になってきたが、これ自体は著作権を啓蒙する過程で、特許などと違って特に申請しなくても発生する権利であるというところから導き出された、ある種の極論であると言える。

 著作権の原則は、

1.まねしたりすると儲からねえからやめろ

2.使いたいなら金よこせ

3.こっちも商売ですからそのあたりいくらでも相談に乗りますゼ

 ということである。商売を阻害し、利益を無視してまで広告物の著作権を守るという考え方は、自重によって自己崩壊するブラックホールと同じだ。だが、今まさにそれが起こり始めている。

       1|2|3 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.