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ソニー稲沢テックに見る、モノ作りの復権小寺信良(1/3 ページ)

» 2006年12月11日 10時30分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 AV機器は、実際に使ってみるだけで理解できることが多い。機能としての良し悪しもある。好き嫌いも生まれる。だがもう一段深く使い込むと、そこに込められた設計思想や、開発者の思い・苦悩なども伝わってくる。

 こう書くとなんか妖精でも見えてるのかオマエは、とか思われるかもしれないが、インタビューなどの機会に実際の開発者にお話を伺ってみて、自分が感じた部分が合致しているのを感じることも少なくない。もちろん企業内には、お話を伺いやすい部署と、そうではない部署がある。比較的お話を伺いやすいのは商品企画の方で、運が良いと設計者にお目にかかれることもある。

 反対に取材が難しいのが、実際に製品を製造する場所、すなわち「工場」である。ここには製品の秘密がモロにゴロゴロしているところでもあるし、製造工程にも特許がある。モノが実際に作られる現場というのは、消費者にとって最も近い部分でありながら、同時にあまり消費者には知られていない部分なのである。

 だが今回は特別に、ソニーの「BRAVIA」を製造している工場を見学できるという機会を得ることができた。工場内は写真撮影が制限されているため、あまり画像ではお見せできないが、今どきのテレビがどうやって作られるのか、その秘密を垣間見ることができた。

製造の鍵を握るソニーイーエムシーエス

 今回見学を許可していただいたのは、 愛知県稲沢市にあるソニーイーエムシーエスの「稲沢テック」である。ここでは2005年のBRAVIA立ち上げ以降、BRAVIAの製造を一手に引き受けてきた。現在は製造拠点のワールドワイド展開を計りつつ、そのコントロールセンターも兼務している。

photo 愛知県稲沢市にある稲沢テック

 まず、ソニーイーエムシーエス(EMCS)ってなんだ? という話からしよう。これはソニーの100%子会社なのだが、ソニーの国内11カ所の製造拠点が2001年に分社化したものだ。ただ単に製造工場というわけではなく、開発や量産設計部門もここにある。EはEngineering、MはManufacturingである。

 以前、同社製インナーイヤー型イヤフォンの最高峰「MDR-EX90SL」の開発者インタビューを行なったことがあるが、設計を担当した太田氏、松尾氏、スーパーバイザーの角田氏ともに、実はソニーイーエムシーエス 埼玉テック所属の設計の方々である。ユーザーに「おお!」と言わせるモノの製品設計が、実はソニーイーエムシーエスのモノ作りの実力の成果だったりするわけだ。

 では残りのCSとは何か。これはCustomer Servicesの略だ。つまり製品の修理や顧客からのフィードバックも、その製品を作る現場で受け付ける、ということである。これにより、製品の問題点や要望などが製造部門へ直結することにより、新しいモノ作りのあり方をやっていこう、という取り組みだ。ただモノ作ってるだけの工場の在り方は終わり、というわけである。

 この稲沢テックの工場設立は1969年。ソニーの工場の中でもかなり古いほうである。かつてはトリニトロン管の製造工場であり、同県一宮市にある一宮テックと並んで「テレビの聖地」と称されたが、ご存じのようにソニーは2004年に、トリニトロン管の国内生産から撤退した。

 国内生産撤退ということは、稲沢テックが停止するという意味である。2004年10月以降はデジカメなどほかの製品の倉庫として利用されるなど、辛酸をなめた。だが起死回生のチャンスはすぐに訪れた。2005年にソニーが液晶テレビの新ブランド「BRAVIA」を発表、その一括生産工場として、テレビ生産の経験豊富な稲沢テックが指名されたのである。

 BRAVIAはソニーとしても、そして稲沢テックとしても、絶対に失敗できないプロジェクトだった。ブラウン管製造時代はいわゆる部品工場だったわけだが、BRAVIA生産ということは、完成品を組み立てる工場になるということである。これまでの製造機材を一掃し、半導体工場とまでは行かないまでも、高密度実装に耐えられる環境に作り替えなければならない。しかも短期間の内に、である。

 稲沢テックがかつてブラウン管製造拠点であったのと同じように、各テックはそれぞれの専門分野を持っている。前出の埼玉テックはオーディオ、長野テックはVAIO、幸田テックはカメラ関係といった具合だ。稲沢復活のために、テレビ製造に限らず日本全国のソニーイーエムシーエスから、製造のエキスパート達が集められた。

 BRAVIAの場合、液晶パネルはサムソンとの合弁である韓国S-LCDから供給される。また外装パーツなどは、近隣の協力工場から供給される。だがエンジン部分となる内部基盤は全部、稲沢で製造することにこだわった。

 基盤製造ラインを一度に立ち上げると間に合わない。そこでまず2ラインを立ち上げたのち、それを実際に稼働させながら隣で新たに2ラインを立ち上げ、と言った具合に、稼働とライン立ち上げを平行で行なっていった。こうして稲沢テックは、かつて前例のない速度で新工場として稼働を開始した。

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