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れこめんどDVD:「ゆれる」DVDレビュー(2/2 ページ)

» 2007年03月09日 08時46分 公開
[皆川ちか,ITmedia]
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血のつながった兄弟ゆえの嫉妬と憎悪

 こうして粗筋を文章にすると、未見の方には、兄の惚れている女と興味本位に寝る弟は、兄を馬鹿にしているように思えるかもしれない。東京で成功した自分の力を誇示したい、見せつけたい、と。それも多少はあるかもしれない。けれど、弟は兄を馬鹿にしては、決していない。むしろ、家業や親の面倒をすべて兄に託した後ろめたさも入り混じって、末っ子らしく兄に甘えている。

 弟は、兄の優しさを試している。何をしても、きっと許してくれる、と。智恵子を抱いたのは、兄から奪いたかったわけでも兄を蔑むためでもなく、兄の寛容さを試すためではないだろうか。

 だが、兄は変わる。このままでは殺人犯となってしまう兄を救おうと、弟が奔走すればするほど、兄はそれまでチラリとも見せなかった悪意を小出しにぶつけてくる。

 「お前の人生は素晴らしいよ。自分にしか出来ない仕事して、いろんな人に会って、いい金稼いで。俺見ろよ。仕事は単調、女にはモテない、家に帰れば炊事洗濯に親父の講釈、で、そのうえ人殺しちゃったって、何だよそれ」

 「ねえ、何で? 何でお前と俺はこんなに違うの?」

 「お前は自分が人殺しの弟になるのが嫌なだけだよ」

 まるで「エクソシスト」のリンダ・ブレアだ。兄は目をむいて、弟に唾まで吐きかける。弟は狼狽して、兄の変化におののく。今までずっと兄の中に潜めてきた感情が、怒りの蓋が外れてしまった。“いい人”で在り続けることのつらさ、憤懣、やるせなさ。それらが一気に噴出する。兄弟ゆえに抱いていた弟への嫉妬も憎悪も、もう隠しはしない。弟は弟で、変貌する兄に怒りを覚える。“いい人”でなくなろうとする兄の変化を、許さない。

 そして最後の公判。弟は証言台に、証人として立つ。そこで弟は、再び兄を試す。自分が何をしても許してくれる兄の優しさを、どこまでも試す。この“兄への試し”を弟は終盤にもう一度やっていて、この映画をただ「感動的」と言い表すにはためらわせる――複雑な含みをもたせている。なんて濃厚な傷つけ合い方、愛し合い方。

根底にあるのは地方出身者の鬱屈と焦燥感

 舞台は言明されてはいないが、地方都市の小さな町 (メイキングによると、撮影の大半が行われたのは富士山が望める山梨県富士吉田市)だ。物語の一番下の部分には、地方に生きる者の鬱屈と焦燥感が、絶えず流れている。

 そこから逃れようとした弟と、逃れなかった兄。逃げる勇気を持てなかった智恵子。西川監督は、田舎を牧歌的な土地として、『田舎に泊まろう!』的な視線で眺めてはいない。息の詰まるような重苦しい場所として、そこを見ている。これは当事者、地方出身者でなければ出てこない眼差しだろう。ちなみに監督は、広島県出身だ。

出演者もほれる監督・西川美和

 兄を演じるのは、近年演技派としてTVドラマ、舞台、そして大杉漣に迫る勢いでバイプレイヤーとして数多くの映画に出演している香川照之。弟には、「蟲師」「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」の公開が控える、今をときめくオダギリ ジョー。2人とも脚本を一読して出演を決め、西川監督にはリスペクトにも似た信頼感を抱いているようだ。この辺は、特典映像に収録のメイキングに詳しい。

 撮影合間の短いインタビューでオダギリ ジョーは、同世代であるがゆえの共感と、世代を超えた普遍性をもった物語を生み出した西川監督の感性を讃えている。それは香川照之も同様。彼は特に西川美和の脚本家としての才能にほれ込んでいるようで、著書『日本魅録』(キネマ旬報社)でも度度「ゆれる」を取り上げ、「多くの人物を演じてきたけれど、稔(役名)ほど自分に近しい役柄はなかった。稔は僕自身」と書いている。

 メイキングには、撮影中に宿泊している宿で行われたらしい監督インタビューも収められている。そこで西川美和は書き込みだらけのシナリオに手を置き、「これしか表現能力がないから」とカメラに語っている。これしかない、ということは、何よりの強みである、ということだ。

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