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商業芸術におけるパトロンシステムの崩壊と再生への道小寺信良(1/3 ページ)

» 2007年08月22日 18時15分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 今月頭に上梓した「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社 amazonで購入)では、多くの方にインタビューを行なってきた。ほとんどの人はコンテンツ、言うなれば商業芸術をいかにして作るか、あるいはいかにして作らせるかということに苦心している。

 日本テレビの土屋敏男氏の、「文化みたいなモノは、パトロンシステムでしか産まれてこないんじゃないか」という指摘は、最初に聞いたときには古い考えのように思ったが、じゃあ現実どうなの、と振り返ってみたときに、やっぱりそのシステムで動いている部分というのは大きいと考えるようになった。

 例えば音大生というのは、親というパトロンが居なければ、成立し得ないのではないか。筆者の甥が今年ピアノ科で音大を受験するが、そもそもピアノの練習には、まず自前のグランドピアノが必要だ。実家での練習用に1台あるわけだが、上京すればそちらでも1台買うことになるだろう。練習のためには防音設備の整った部屋を探す必要もあるわけだし、普通の大学生よりもはるかにお金がかかる。さらには練習に膨大な時間が取られるので、本人のアルバイトもままならない。

 楽器はどんどん電子化が進み、エレピも結構いいものができている。だがピアノの演奏家として立とうとするものが、エレピでいいわけがない。効率のいい代用品ではあるが、ホンモノではないのだ。そしてそのホンモノの環境を整えるには、本人の自力ではいかんともしがたいわけである。

 そう考えると、誰か才能がある人物が居ても、環境にそれを育む能力がなければ、その人は世に出ることが難しいということになる。もっともそれはいつか別の形で才能が現出するのかもしれないが、それもまた環境に大きく左右されることだろう。

消えた「大ヒット」

 右肩上がりの高度経済成長期のピークを迎えた80年代というのは、多種多様のムーブメントを生み出す基盤のようなものを形成した時期だったのではなかったか。土屋氏もインタビューの中で、「基本的に1勝9敗でいいんだ」とおっしゃったが、まさにそれを地で行った余裕の時代が、80年代の特徴だったろうと思う。

 つまり1つ大ヒットが出れば、あとの9敗がチャラになるほど儲かったわけである。逆説的に言えば、1つヒットを出せばあとの9つは負けてもいいわけだから、いろんなチャレンジができる。こういっては何だが、当時のテレビ業界とは基本的に「会社の金で遊ばせてくれる」ような仕組みになっていたのである。

 これは伝聞だが、NHKの有名なプロデューサーが亡くなったときの臨終の言葉は、「ああおもしろかった」であったという。今聞けば不謹慎な感じもするが、数々の大ヒット番組を飛ばした人のこの感覚が、当時のテレビの世界を端的に表わしている。

 ヒットとは常に存在するものではあるが、バブル崩壊までのヒットとは猫も杓子もといった感じで、強力な結束力を生み出していた。ハマトラが流行れば東京中の女子大生がハマトラになったし、ディスコヒットではOLがこぞってワンレンボディコンになったものである。若年層にとっては「流行に乗り遅れる」ということが、罪悪であるかのように感じられた時代だ。

 しかしバブル崩壊後は、小さなヒットはいくつかあるが、80年代のような日本中を席巻するような大ヒットというのは起きていないのではないかと思う。これは経済的にヒットに巻き込まれていく余裕がなくなったことで、流行というスパイラルを生み出しにくくなったこともあるだろう。そしてなによりも、仕掛けられたヒットに対して、人々が慎重になった、ということもある。

 しかし近年大ヒットが起こっていないのは、バブル崩壊が直接の原因ではないように思う。失われた10年と言われた経済低迷時代に台頭したのが、「IT」である。個人的には商売のにおいのする「IT革命」という言葉は好きではないが、インターネットによる無料の情報提供、そしてケータイからも自分が今必要な情報が引き出せるようになったのは、やはり革命であった。

 それ以前の情報は、常にマスメディアによって、民衆に対し一度に投下された。それはつまり、メディアを握ったものが情報を制御し、結果的に民衆を操作することができたということでもある。それに対してITがもたらした革命は、民衆自身が欲しい情報を、自分で引っ張り出すことができるという点で、違っている。情報を操る主体が、マスメディアから個人へと移行したのである。

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