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プラズマと液晶(2)――「KURO」のインプレッション本田雅一のTV Style

» 2007年09月14日 10時20分 公開
[本田雅一,ITmedia]

 前回に続き、パイオニア「KURO」を取り上げる。

 各地でのお披露目会が進み、非常にポジティブな反応が消費者側からも出ている「KURO」シリーズ。店頭での展示が始まっているとはいえ、店頭展示ではなかなか本来の画質を感じることはできない。にも関わらず、消費者の手元にまだ届いていないKUROの評価が高いのはなぜだろうか?

photo 「KURO」発表会の模様

 もちろん、そこには技術的な背景もあるが、一言でいえば“きちんと総合的な画質が上がっている”からだ。理屈抜きで映像が変化したと実感させられる圧倒的な画質の向上。立体感と奥行きを感じさせ、色相も安定した安心感、現実感といったキーワードを並べたくなる画質。総合的に様々な切り口での画質を上げなければ、ここまで映像は改善しないものだ。

 “総合的”という部分がとくに大切で、ある1つの切り口だけで性能が向上してもトータルの画質はあまり向上しない。われわれが求めているのは、自分の目で見て美しい映像なのだから、一部のスペックが向上したからといって、その数字自体は(比較する上での参考にはなっても)画質向上の度合いは意味していない、というのが筆者の持論だ。

 KUROの場合に当てはめてみると、暗室において2万:1というコントラスト比ばかりが注目されがちだ。確かに2万対1という数字はすばらしい。さらにいえば、黒レベル(真っ黒を表現する際の明るさ)が、昨年モデル比で1/5になっていることも大きい。

photophoto 黒レベルが、昨年モデル比で1/5になっていることがわかるデモ(左)

 こうした部分的なスペックの向上は、パッと見ただけで従来と“違う!”と感じさせる力がある。しかしコントラストが向上するだけでは、パッと見のメリハリ感が出たとしても、総合的に画質が良くなるわけではないのだ。コントラストが上がり、黒レベルが沈むということは、輝度方向の描き分けの範囲が拡がったことを意味している。しかし、広くなった輝度レンジにどう描き分けるべきかは、また別途考えなければならない。

 KUROが、スペック表のデータ値にうるさいマニア層だけでなく、一般メディアを含む各方面から、技術的背景なしに受け入れられているのは、コントラストが拡大した新型パネルに見合う絵作り、良い絵作りを行うための映像回路、実際の視聴環境下での画質を向上させるフィルタ技術を同時に提供しているからだ。

 たとえばコントラストが従来の4〜5倍になったなら、その間の輝度階調を滑らかに描き分けるため、映像処理の精度も4〜5倍になる必要がある。とくに演算誤差が目立ちやすい暗部の表現力は重要だ。ほんの少しのことで暗部のグラデーション表現で色相が不安定に転び、誰が見ても不自然な画像になってしまうからである。

 その点、KUROは上手に処理しており、黒が沈んだことで得られる階調表現を活かし、“黒の中にある黒の質感”を表現する。たとえば「艶のある黒」でもピアノとシルクのドレスでは当然、質感は異なる。さらにいえば、シルクのドレスでも織り方で艶っぽさや風合いは変化する。さらにほんの少し色が乗っている、あるいは本当に真っ黒といった印象の差も、従来見えにくかったところが見えてくる。

 こうした暗部の描き分けが圧倒的に優れているのは、コントラスト向上、黒レベルの低下(全黒時の色付きの少なさ)、映像処理プロセッサ(+パネルドライバ)、室内照明によりコントラスト低下を防ぐ新フィルタ、これらすべてが同時に作用し、それをきちんと使いこなして総合画質、表現力の向上へとつなげているからだ。

 これらの表現力、質感の描き分けは、アナログ機器であるブラウン管が本来は持っていた。しかし今や、その頃の記憶はプラズマや液晶の時代になり、どこか頭の隅の方に置き忘れている。さらにいえば、今後は高品質のブラウン管が紡ぎ出していた映像を経験していない世代も増えてくる。

 もちろん、KUROにもまだまだ改善の余地はある。たとえば、RGBの各プレーンごとに応答速度がほんの少し異なるため、(全員ではないが)読者の一部には高輝度部の周囲に色付きが見える場合があるだろう。またフルHDモデルでは目立たなくなってはきているが、グラデーションの中にザラついた質感の部分が見えることもある。

 しかし、この程度のことは些末なことだと感じさせる良さがKUROにはある。

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