第4回 今だから話せる「au design project」(後編)小牟田啓博のD-room

» 2006年10月18日 12時57分 公開
[小牟田啓博,ITmedia]

 前回に引き続き、「今だから話せる『au design project』」と題して、僕なりの体験談の続きをお話したいと思います。

「デザインで売れない」から「デザインで売れる」の分岐点

 前回は、2002年のビジネスショウで、「info.bar」「ishicoro」の2タイプのコンセプトモデル発表し、「デザインの良い通信キャリアはau」という図式がほぼ固定化されてきたところまでお話ししました。「au design project」という名称も、2002年の展示会が初お披露目だったと思います。

 さてここで肝心なのは、「デザインでは売れない」と社内外で通説のように思われていた当時、僕は「デザインで売れる」を実践したいと考えていました。詳しく言うと、デザインだけでモノが売れるわけではありません。よくある話なのですが、作り手も使い手も不在の、デザイナーのエゴからデザインされる製品があります。しかし、これはとても良くない例です。この良くない例がたくさんあったことで「デザインでは売れない」という悪しき常識が出来上がってしまっていたのです。

 実際には「デザインを含めた製品完成度のバランス」で売れると僕は考えていましたし、それを信じてデザインを学び、実践してきたことの証明をしたいと強く考えていました。これがすべての原動力となって僕を突き動かしました。

 この時期まではコンセプトデザインの印象により、「auのデザインは深澤さんがコントロールしているのだろう」という、デザイン業界からの声があったのも事実です。しかし、翌2003年に発表したコンセプトモデル「talby」は、マーク・ニューソンさんデザインによるモデルでした。ここで一気にデザイン業界が動きました。

 深澤さんだけでなくマーク・ニューソンさんまでも。業界をリードするデザイナーを選んでいる人間が実はauにいる。それは誰だ!? と囁かれ始め、どうやら小牟田? だと認知し始められました。

 その理由の1つは、2002年まで深澤直人さん一色だったauのコンセプトモデルが、2003年にはマーク・ニューソンさん一色に方向転換したかのように見えたからです。

 この時、皆さんもご存じの極秘プロジェクトが水面下でスタートしていました。

「INFOBAR」成功の裏には多くの苦労や秘話が……

 お客さまに期待してもらう未来は「talby」で、かつて未来であった現在には、過去に期待したモデルを実際に手に取ることができる。この両輪を駆動させることに徹底的に拘りました。それが極秘プロジェクトとしてスタートし、市販モデルとして完成した「INFOBAR」です。

 2003年秋、このINFOBARはいろいろな波紋を業界に投げかけました。いくつかの例を挙げると、「世界初の通信会社主導のデザイン開発モデルということ」「コンセプトモデルが実際に量産化されたこと」「『デザインでは売れない』を覆し、『デザインで売れる』を実践したこと」「質の高いデザインの製品を完成させ社内のムードを一変させたこと」などです。

 このINFOBARの広告デザインは佐藤可士和さんが担当し、ボディーカラー3種類それぞれに「NISHIKIGOI」「ICHIMATSU」「BUILDING」とネーミングされたり、街頭広告の展開を大々的に行ったり……と、かつてない規模とクオリティのPRを全社一丸となって行いました。

 挙げ句の果てには、それまでとくにデザインに示していたわけではありませんが、会社全体がデザインに注目している企業だとアピールする「Designers KDDI」といったキャッチコピーを打ち出した宣伝まで展開するに至りました。それって、すごいことだと思うのです。そして僕は、デザインのポテンシャルを証明できた達成感と、その力の大きさを存分に肌で感しました。

 このINFOBARの発表を機に、au design projectのネーミングでニューラインアップが登場し、ケータイ業界やデザイン業界に新しい歴史をスタートさせることとなります。

 INFOBARの実現には、実に多くの苦労や秘話があります。まず社内でこのデザインモデルを市販しようと強く動いてくれた数少ない人たちの力が挙げられます。そして、それを実現しようと決断した上司の男気にも今も僕は強く感謝しています。

 さらに、実際に製造を請け負ってくれた鳥取三洋電機の取締役。この方には、僕は直接プレゼンをした記憶があります。それまで数年間待ち続けてきたこのチャンスを逃すものかと、熱過ぎるくらいに熱くプレゼンした状況が蘇ってきます。……プレゼンというよりは、もはや説得というムードでしたけどね(笑)。

 その取締役も「よくぞ我々、鳥取三洋電機に声を掛けてくださった!」と、興奮気味に応対していただいたことにも、僕はとても感謝しています。

 それから担当した優秀なエンジニアの方々、関係した製造メーカーの方々、とにかく多くのスペシャリストの方々のおかげで、ハードルの高い技術がプロジェクトとして次々と実現に向け動いていったのです。

一貫したイメージ作りと質の高いデザインがメッセージ!

 ところでau design projectのネーミングですが、決定するまでにいろいろな意見もあったようにも聞いています。ですが、実際にもデザインのプロジェクトなわけだし、お客さまに伝えるには誤解のないようにシンプルで分りやすいものが良いだろうということで、大きな問題もなく決定していったと思います。案外に知られていない事実ですが、ロゴデザインは佐藤可士和さんによるものです。

 こうしたトータルでの完成度の高さがお客さまに伝わり、au design projectはお客さまのために提案し続けて行くラインアップとして、位置づけられることになりました。

 INFOBAR登場の数週間後、au design project第2弾となるモデルが発表されます。それは新サービスWINのスタートに合わせて開発された 「W11K」です。このモデルのデザインも深澤さんの手によるものです。第3弾は2003年にコンセプトモデルを発表した「talby」、第4弾は「PENCK」、第5弾に「neon」と、続々と発表していくことになりました。

 これらのモデルについての詳細は、機会があれば触れていきたいと思いますが、こうしたプロジェクトモデルの成功のカギというものがあって、それらを幾つかピックアップしてみることにして、今回の締めくくりとしたいと思います。

 先ず、そもそもの展開の考え方が筆頭でしょう。冒頭にもお話しした“方向性”の概念です。この骨子をしっかり考え、誰が誰のために取り組むプロジェクトなのか――。これが非常に重要です。

 次に“人”です。前述の誰が誰のために、という部分でもありますが、お客さまのために作り手が一丸となって開発していく。そしてその製品をお客さまに伝え、販売のプロが確実に売っていく。これら一連のプロセスのすべてで、高いモチベーションと意識が必要になります。

 こうした点では、au design projectは非常に恵まれた環境でプロジェクトが取り組まれてきました。関わる人たちが皆さんいい人ばかりだったからです。そして最後に、お客さまに確実に理解してもらうメッセージの伝え方。これも非常に重要なポイントです。

 製品のデザインだけでなく、製品の企画やそのモデルの価格、投入タイミング、それから広告やそれにまつわる話題作り、売り方といったすべてに渡って一貫したイメージを完成させ、実現する必要があるわけです。

 僕が取り組んできたau design projectでは、吉岡徳仁さんデザインの「MEDIA SKIN」、坂井直樹さん、田村奈穂さんデザインの「MACHINA」「HEXAGON」なども発表してきました。こうした一貫したイメージ作りと、それを質の高いデザインで完成させること。実際にはそう実現できることではありませんが、実に大切なことだと考えています。

PROFILE 小牟田啓博(こむたよしひろ)

1991年カシオ計算機デザインセンター入社。2001年KDDIに移籍し、「au design project」を立ち上げ、ブランドコンサルティングを通じて同社の携帯電話事業に貢献。2006年幅広い領域に対するデザイン・ブランドコンサルティングの実現を目指してKom&Co.を設立。国立京都工芸繊維大学特任助教授、武庫川女子大学非常勤講師。


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