クアルコムが日本の携帯電話市場で果たしてきた役割とは──山田純社長に聞く(前編)日本でのCDMAサービス開始10周年(1/2 ページ)

米QUALCOMMを中心に実用化を果たしたCDMA技術を採用する通信方式、cdmaOneが日本市場に導入されて10年。日本が世界有数の携帯先進国にまで発展した影には、QUALCOMMとクアルコム ジャパンの全力のサポートがあった。

» 2008年06月02日 10時00分 公開
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 NTTドコモ、KDDI(au)、ソフトバンクモバイル、そしてイー・モバイルと、携帯電話事業を手がけるキャリアのすべての新製品ラインアップが3G携帯電話になっている昨今、かなりの割合で端末のボディのどこかに「QUALCOMM 3G CDMA」という刻印やシールがあるのにお気づきだろうか。QUALCOMMは、携帯電話向けのチップセットを開発、供給しているだけでなく、3G携帯電話の主要な技術の特許を持ち、端末メーカーにさまざまな技術を供与している米国の技術開発集団である。

 一般的には“QUALCOMM=CDMA2000”というイメージが強いが、W-CDMA端末においても、同社の技術が使われている。実は、CDMA(Code Division Multiple Access/符号分割多重接続)という技術は、QUALCOMMが世界で初めて携帯電話に応用したもので、CDMAに関連する多数の特許技術を保有しているのだ。

 2008年7月14日、そんなCDMA技術が日本に初めて導入されてから10周年を迎える。今からさかのぼること約10年。1998年7月14日に関西セルラーと九州セルラー(いずれも現KDDI)、そして沖縄セルラーが初めてcdmaOneのサービスを開始した。この日が、日本で初めてCDMA技術の商用サービスが始まった日なのだ。

 はたして、この10年でCDMA技術とQUALCOMMにはどんな歴史があったのか。クアルコム ジャパンの山田純社長に聞いた話を交えつつ、同社が日本で果たしてきた役割を探った。

Photo クアルコム ジャパン 代表取締役社長の山田純氏

混乱の中でスタートしたcdmaOne

 10年前の1998年といえば、日本ではADSLサービスも始まっておらず、iモードやEZwebのような本格的な携帯電話でのインターネットサービスなどもなかった時代。メールも電話番号を使ったショートメールが一般的だった。携帯電話は“電話”として使われ、携帯電話キャリアはサービスエリアや品質を競っていた。そんななか、当時のDDIとIDO(いずれも現KDDI)は、それまで一般的だったPDC方式から、通話品質に優れるといわれたcdmaOne方式に移行する決断をする。そこで、全国に先駆けてサービスを導入したのがDDIセルラーの地域会社、関西セルラー、九州セルラー、沖縄セルラーだったのだ。

 10年前のサービス導入時は、かなりの混乱ぶりであったと、山田氏は振り返る。

 「当時のQUALCOMMには、売り物はCDMAという技術しかなかった。それが先進市場である日本で使ってもらえるということで、とてもエキサイトしていたことを覚えています。とにかく、なんとしてでも成功させたいという思いでした。cdmaOneのサービスは、当時香港や韓国、米国の一部で始まったばかりで、日本での導入は、世界でも早いほうでしたので、業界からの注目も高く、やれることはなんでもやって成功させようと意気込んでいました」(山田氏)

 しかし、「電波は生き物」とはよく言ったもので、cdmaOneはサービス開始直後に大きなトラブルを抱えることになる。

 「関西などでのcdmaOne導入直後に、『バッテリーの寿命が一日も持たない』というトラブルがありました」(山田氏)

 CDMAという無線技術は、同時にたくさんの基地局からの電波をつかむ点が、技術的な優位性の1つだった。同時に複数の基地局と通信を行うため、通話がとぎれることなく安定して会話ができる。またクルマなどで移動しながら通話しても、常にもっとも通信状態のいい基地局と通信しているので、切れることがないという点が評価されていた。

 しかし、当時はフィールド実験が未熟だったため、端末から基地局が見えすぎてしまい、つねに端末と基地局がつながった状態に陥ってしまった。待受に戻れず、常時ハンドオーバーをし続ける状態になり、バッテリーを消耗してしまったのだ。

 山田氏は、当時クアルコム ジャパンに入社してまだ数カ月しか経っていない状態で、そのトラブルのまっただ中にいた。その山田氏にとって、当時のQUALCOMM本社の対応は鮮明に記憶に残るものだったという。

Photo クアルコム ジャパンに入社して間もなくcdmaOneの立ち上げに関わったという山田氏

 「QUALCOMMは米国の技術開発会社でしたから、一度端末メーカーやインフラメーカーにライセンスを供与してしまえば関係はおしまい、もうあとはサービスがどういう性能になろうと、どういうトラブルに見舞われようと、距離を置いて冷ややかな対応するのではないかと思っていました。当時、トラブルのまっただ中にいた自分は、QUALCOMM本社がそんな対応をする会社なら、辞めようかと思っていたんです。そんな会社だったら、まともに付き合えません」(山田氏)

 だが実際のQUALCOMM本社の対応はまったく異なるものだった。

 「幸いなことに、何の心配をすることもなく、San Diego(QUALCOMM本社の所在地)は24時間体制のチームを作り、情報を受け付ける組織を整えました。日本にもフィールドでデータを測定するチームをつくり、彼らが大阪地域のネットワークデータを収集していきました。そして日本でデータを解析するだけでなく、本社にもデータを送って解析させるなどして、ほんの数日の間に問題点を見極めていきました。

 その後6〜7の改善ポイントが判明し、それを実装するためのソフトウェア変更のアイデアを出し、端末メーカーや通信事業者との協議に入りました。不眠不休の体制で、1週間で関係各社と改善策を共有することができ、最初の評判の悪さをぬぐい去ることができました。こういう対応ができる会社であれば、技術を売る会社としては“極めてまともである”と実感したのです」(山田氏)

 QUALCOMMの日本での船出は決して安泰ではなかった。しかし、このようなトラブルに全力で対処したからこそ、日本のキャリアやメーカーからの信頼を得られるようになったのだ。

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提供:クアルコムジャパン株式会社
企画:アイティメディア営業本部/制作:ITmedia +D 編集部/掲載内容有効期限:2008年7月19日