いまこそ「技術科」の重要性を認識すべき小寺信良「ケータイの力学」

» 2011年04月12日 12時30分 公開
[小寺信良,ITmedia]

 平成24年度から、中学校は新しい学習指導要領が全面実施となる。これに合わせて各教科書会社では、新しい指導要領に対応するための教科書改定が進められている。

 IT分野での大きな変化は、これまで高校から必修教科となっていた「情報」の一部が、中学校の「技術・家庭」の技術分野に組み入れられることだ。

 これまで技術・家庭の教科書を出していたのは、東京書籍と開隆堂出版の2社しかなかった。そこに3社目として、教育図書が参入する。教育図書が初めて手がける技術分野の教科書には、筆者も編集協力という形で一部分の監修をお手伝いしたが、監修と執筆の中心的役割を果たしたのが、筑波大学附属駒場中・高校の技術科教諭で以前このコラムでもお話を伺った市川道和先生である。

 市川先生は新しい技術分野の教科書を、これまでの形にこだわらず一から議論して作り上げていった。その教科書をパラパラとめくりながら考えるのは、今の日本の技術力である。

 未曾有の原発事故に世界中が震撼する中、筆者は日本を支えてきたはずの技術力というものに疑問を持ち始めている。それは核反応を制御するというような難しい事ではなく、パイプをつなぐとか、穴をふさぐといった基本的なところでずっこけている、無様とも言える姿に対してである。

 “壊れる”ということは常に予想外の出来事だ。だが“修理する”というのもまた、一つの技術なのである。あるいは、限られたパーツを組み合わせて最低限の目的を果たすよう現場で対応する――そんな知恵もまた技術である。もちろん、高い放射線の中では普通の作業ができないのは承知だが、荒っぽいながらもどうにか現場でやっちまうようなことが、エリート主義の中で長い時間をかけて失われてきたのではないだろうか。

手を動かしモノゴトを動かす「技術」

 ネット経由で情報を受け取る行為が低年齢化している昨今、早めに「情報とは何か」という教育を行う方向性は正しいと思う。日本の社会はITの台頭に対して、情報・通信系の技術で食おうとしてきたようなフシもあるが、それらのイノベーションの中心は相変わらず米国で起こり、最近ではアジア近隣諸国でも起こり始めている。

 長い目でみれば、そこに追いつけ追い越せでやる意義はあるだろう。しかし今回のような、日常生活が壊滅するような事態に対しては、人間が長い時間をかけて蓄積して来た「技術」が役に立つときである。組み立て図を見ながら組み立てる、ありもので簡単なものを作って代用する、壊れたものを元の動作を想像して修理するといった知恵が、なにより役に立つ。技術の教育とは、児童の学問、国語算数理科社会のどの分野にも入りきれなかった知恵のかたまりなのだ。

 教科書に載っている技術は、一見誰でも思いつきそうなシンプルな形をしているが、実際には長い時間をかけて蓄積されたノウハウのかたまりである。これをまったくのゼロから再発見し、再発明するのは大変だ。たった1人では、とてもそこまでたどり着けないかもしれない。だから経験を伝承するのである。日本の教育は何かを焦ったために、ここの部分をかなり取りこぼしてきた。

 筆者が中学生の頃は、男子は技術、女子は家庭科と別れていたものだが、いまは男女とも同じものを学習する。技術というのは、力仕事ではないのだ。女子も学びさえすれば相当のことができるようになる。ただ、限られた時限数の中で男女が同じものを学ぶがゆえに、時間的に深く掘り下げることができなくなったというデメリットが発生している。

 今後被災地では、復興に向けての動きが加速して来るだろう。ケータイ片手に情報を取るだけでは、家は建たない。国民全体の技術力が高い日本の姿もまた、教育によってもたらされるべきではないのか。

小寺信良

映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は津田大介氏とともにさまざまな識者と対談した内容を編集した対話集「CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ」(翔泳社)(amazon.co.jpで購入)。


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