ファースト・プレゼント〜ペンの物語 <2>小説

» 2004年01月29日 18時27分 公開
[チバヒデトシ,ITmedia]

 翌朝、ひどい頭痛とともに目を覚ました。正確に言えば頭痛ではなく首が痛い、要するに寝違えたような感じだった。コートを着たまま、ベッドの角に寄りかかって寝ていたのだ。一日一度は風呂に入らないと落ち着かない僕はすぐにコートを脱いでバスルームに入った。

 なにか違和感があった。誰かがバスルームを使ったような感じがあった。もともとツインの部屋だから、バスタオルやタオルの一式が二人分あるのは問題ないがその一方が使われていた。使った記憶がないだけだろうか。それにしても、昨日の夜は一体どうやってホテルに戻ったんだろう。ワインショップからまっすぐ帰ってきて……、そうだ、店長から聞かれていたことはどうなったんだろう。思い出せない。どうもそのあたりの記憶が曖昧になってしまっているような感じがした。

 とにかく一番の便で会社に戻らなければと、部屋を出てフロントに下りてチェックアウトした。ロビーを出ようと回転扉のところまできて、後ろから呼ぶ声に足を止めた。

「田嶋様、田嶋逸郎様。お急ぎのところ申し訳ありません。お荷物が届いております。今朝早くに届きまして、ご在室かと思い、たったいまお部屋にご連絡を差し上げたところでした。大変失礼いたしました」と言いながら、コンシュルジェがアタッシュケースを一回り大きくしたような箱を手渡してよこした。簡易なハンドルがついた何でもない段ボール箱だったが、どことなく不自然さがあった。それは大きさの割には空なのかと思わせるほど軽く、箱のどこにも荷札らしきものがなかったためだ。

 丁寧に下から底面をのぞいてみてもなにも貼られていない。一体だれがこんなものをよこしたんだろう? 開けてみようかとも思ったが、時間もないことだし、荷物をそのままコンシェルジェに戻して、「嵩張るし、急いで社にもどらなければならないので」と言い、宿泊者カードの住所に送るように頼んだ。

 配送先を確認するとコンシェルジェは思い出したように、「今朝は雪で飛んでいないんです」と言いつつ、確認をしにカウンターに戻った。すぐに取って返してきて、まもなく空港は使えるようになるが、スムーズに搭乗できるかはわからない、ということだった。とにかく空港に行ってみなければと思い、ホテルから空港に向かう連絡バスに飛び乗った。バスの中はガラガラだった。車窓から見える真っ白い街はどこかもぬけの殻のような静けさに包まれていた。ぼんやりと窓の外を眺めながら、子どもの頃、(その日がたとえ日曜日でも)クリスマスの朝だけはなぜか寝坊していたことを思い出した。

 会社に着くとイブの夜を引きずったままの、空っぽになった連中がただぼんやりとデスクに向かっていた。課長の席に目をやると不在だった。すぐそばの女子社員が、課長、まだなんですよ、と教えてくれた。しかたなく部長に出張から戻ったことを報告にいくと、いつもは鬼のような形相で契約のひとつもとってこい! と怒鳴ってばかりいる部長が「田嶋君。朝早く、出張先からの帰社では疲れただろう。今日はこれで退社してかまわないよ」とにこやかに言ってきた。それでも「まだ、報告書を書いていませんし」と言うと、「じゃぁ、それを書いたら帰っていいから」とさらにすすめられたので、少しばかり薄気味悪さを感じながらも、これ以上断ることもないと思い、「では、そうさせていただきます」とこたえた。

 報告書を書きおえても、まだ昼にはなっていなかった。言われた通り帰ろうかと考えていると、すぐ後ろのデスクの野間真治が肩越しに声をかけてきた。仕事はできるがいつも都合のいいことを言ってはまわりに面倒ばかりかけるヤツだ。「ねぇ、田嶋ちゃ〜ん。わるいなぁ。またこれ書いてくんない」と言ってワードの文章をプリントアウトした紙と未使用のはがきを手渡してよこした。「クライアントが時節の挨拶もできない担当者とはつきあえない、って人だからさぁ。特に俺の扱っているところは、酒屋の頑固なオヤジって感じじゃん。ホントなら年賀状専用ソフトでもいいんだろうけどさ。でさ、ここで俺も達筆なところ見せなておかないとなんないからさ、頼むよ」。

 もちろん野間が達筆なわけではない。自分で言うのもなんだが、達筆なのは僕だ。取り柄らしいものがない僕だが、書道だけは子どものころから続けている。年賀状を書くぐらい造作もない。それでこの時期になると、こうしてコイツの代筆を任されるわけだ。それにしても、野間は僕が書いたものをスキャンして、それをはがきに印刷しているから、厳密には直筆ではないわけだ。そんな賀状に意味があるのだろうか?

 まあ、なんでもいいやと思いながら、筆と墨を用意しはじめると、離れた島にデスクがある齋藤がにやにやしながら近寄ってきた。

 「田嶋。またコイツにいいように使われてんのかよ」と齋藤は野間の後頭部をこづいた。野間がブツクサ言っているのを無視して、「昨日のあれ、こうやって取り外して使うこともできんだ」と言いながら、一枚の板を見せた。昨日のノートパソコンだったがキーボードの部分がなかった。

 齋藤は胸ポケットからペンを取り出すと「こういう風にペンで、ほらスラスラと、ってこれが俺も字を書くのはちょっと苦手なんだけどな。このソフトなら、鉛筆だったり、フェルトだったり、マーカーだったり、といろんなペン先に変えて使えるんだ」と言って差し出した。言われた通りに画面に映し出された真っ白な画面に字を書いてみた。正直言って驚いた。硬筆は得意な方ではないが、それでも普通の鉛筆を使うのにかなり近い感覚で書くことができる。「お得意の毛筆もあれば、スキャンする必要もなくなるのにな」と言って、齋藤はデスクに戻っていった。

 結局、年賀状の方は普通に筆で書いたものを野間に渡した。用事が済んだので、お昼はとらずに会社を後にした。なんだかまっすぐ部屋に戻る気もしなくて、自然と足は学生の頃からの行きつけの喫茶店に向かっていた。その店は海沿いの国道から山側に入った静かなところにあった。

 無言で店に入っていつものようにカウンターに腰掛けるとカウンターの向こうから、バイトのヒロ助が眠そうな目をこすりながら顔を出した。こちらから「祐さん、また海?」とふってみると、ヒロ助は「うん。朝早くにかり出されて、ボクが店開けたんだよぉ。いくら学校が休みだからってさ、ほんとにもう。いっちゃん、スペシャルでいい?」と返してきた。

 ヒロ助はモデルのようにすらりとのびた手足のすばらしいスタイルの持ち主のれっきとした女子高生なのだが、くりくりした大きな瞳やなんだかへんちくりんなポニーテールがどことなくちょんまげに似ていると店長に指摘されてから、寛子という名前をアニメのキャラになぞらえたヒロ助がすっかり定着してしまった。本人は最初かなり抵抗したのだが、常連がみんなこう呼ぶものだから、いまでは本人もちょっと気に入っているようだった。

 “スペシャル”とは店長で中年サーファーの須藤祐一が作るこの店の裏メニューだ。僕が大学生の時に無理を言って作ってもらったものがそのままメニューになったものだ。“裏”だからメニューには載っていないのだが、知らない客はいない裏メニューだった。ほんとはモーニングなのだが僕は提案者の特権でいつでもOKと言うわけだ。ほどなく“スペシャル”がカウンターに並んだ。フレッシュグレープフルーツのジュース、サニーサイドアップにカリッカリッに焼いたベーコン、分厚いシナモントースト、デザートはカットしたパパイヤ。そして、最後に出てくるのが店長が“これ以上はないぜっ!”と豪語する極上のハワインアン・コナを使ったコーヒーだ。僕の日常でこれほど贅沢な一瞬はない、と心底思っている。

 分厚いマグを持ってコナの香りを楽しんでいると、携帯電話のベルが鳴った。ヒロ助の「彼女ぉ?」という問いに「まさか」と軽く受け流してメールを開いてみた。また、送信欄が空欄のメールだった。

 『贈り物は届きましたか? 後ほど説明にうかがいます』

 ホテルに届いたあの箱のことだろうか? 確認しようにも今は配送の途中だろうし、届くのは明日だ。それにうかがいますって一体どこに? どうにも気になったので、そうそうに店を後にして、部屋に帰った。

 やはり荷物は届いていなかった。当然だ。オーディオに電源を入れるとラジオからフランク・シナトラの歌声が流れてきた。ふと、もう落ち始めた日が差し込むテーブルの足下あたりが急にボワッと明るく見えた。よく見るとそこに箱があった。いや、さっきまではなかったはずだ。突然、スイッチが入ったように、急に昨夜の記憶がよみがえってきた。

 イルミネーションの輝く方から僕に歩み寄ってきた彼女は、「田嶋さん、お探ししました。オフィスの方におうかがいしたら、出張に出られたとのことでしたので。会えてよかった。ところでお困りのようですね。お調べしたいことがあるのでしたら、どうぞこのタブレットをお使いください」と言って、彼女がタブレットというそのパソコンのような物体と古い万年筆のような渋いペンを手渡してよこした。タブレットは驚くほど、軽くて薄くまるで紙のようだった。なぜか僕はなんの疑問を持たずに彼女の言うとおり、会社のネットワークにログインし、イベント会場のデータを取り出した。すぐに携帯でワインショップの店長に連絡を取った。

 「ありがとうございます。ところであなたは……」と言いかけたところまでは思い出せたが、そこからはまた記憶がとぎれていた。

 それにしてもどうしてここに箱があるのだろう。今度こそ、なにかわかるはずだ、と思い、箱を開けようと持ち上げてみて驚いた。朝、持ってみた時とは大きく違って、今度はそれなりに重みがあったからだ。箱をあけるとそれはどうみても普通のパソコンと同じように本体の他にマニュアルやケーブルの類がたくさん入っていた。本体はあきらかに彼女の持っていたタブレットとは異なり、齋藤が持っていたパソコンにそっくり、いや同じものだった。よく見てみれば、箱の外側には見なれたパソコンメーカーのロゴがあり、荷札が貼付けてあった。じゃあ、今朝見たあの箱は一体?

 その時だ。部屋のドアがノックされた。ドアの外の夕日の差し込む通路には、昨日、イルミネーションの中にあられた彼女が立っていた。僕と同じぐらいの長身で真っ白なコートと膝までの黒いブーツがよく似合っていた。その大人びた感じには似合わないほどのベビーフェイスにセンターから分けた長くてつややかな黒髪が印象的な、ほんとうに美しい女性だった。

 僕はその彼女の美しさに息を呑むと同時に、どこか懐かしさを感じていた。

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