海の男のIT事情「マリン仕様TOUGHBOOK編」

» 2004年02月09日 12時26分 公開
[長浜和也,ITmedia]

 発表会でいきなり登場して、IT関連ジャーナリストで喜んだのは(たぶん)記者ぐらいに違いない「マリン仕様TOUGHBOOK」だが、もともとの発想は「米国における想定を超えたTOUGHBOOKのビジネス展開」が出発点だったらしい。

塩害対策を施すマリン仕様TOUGHBOOKは先日発表されたCF-29に限定される。B5ファイルサイズのCF-18は「考えていない」(白土氏)

 欧米で限っていうと、屋外で使うノートPCとして確固たる地位とトップシェアを物にしているTOUGHBOOK。ただし、その使われ方は松下電器のTOUGHBOOK開発陣が考えていたのとは、かなり違った方向になっているという。

 「最初、TOUGHBOOKのユーザーとして考えていたのはハードなフィールドワークの分野。建築現場や土木の現場でそれこそ泥まみれ水まみれになって使ってもらうのを想定していた」と松下電器産業の白土清氏(ITプロダクツ事業部テクノロジーセンター機構設計チームチームリーダー)は語る。

 「ところが実際に発売して見ると、9割のユーザーが車に載せて使う“車載コンピューティング”として使っていたのです」(白土氏)

 車社会の米国では、ノートPCに車を持ち込んで移動するだけでなく、ユーザーが車に乗った状態でPCを活用する「ビーグルコンピューティング」がごく普通になっている。車にノートPCをビルドインするためのマウントも数多く出荷されているが、肝心のノートPCはというと、オフィスで使っているごく普通の製品をそのままマウントに載せて使っている状況だったそうだ。

 ところが、車載された「通常のノートPC」が2〜3カ月程度で次から次へと壊れていく事例が続発する。原因は車の移動で絶え間なくノートPCの筐体に加わり続ける「衝撃」。この衝撃に耐えうることを大きくアピールしたTOUGHBOOKの登場は、車載コンピューティングに取り組んできた米国ユーザーを中心に広く世界中で支持されるようになった。

 とくに米国では、悪化する財政対策のためにリストラ進めていた警察が、削減人員をカバーするために進めていたOA化の一環としてTOUGHBOOKを採用。この実績によって一気にビーグルコンピューティング用ノートPCとして認知されるようになる。「現在、米国で稼動しているパトカーの60〜70%にTOUGHBOOKが搭載されています」(白土氏)

 このように、防水性防塵性を求められるフィールドワーク用PCとしてより、耐衝撃性能が求められる車載用PCとして使用されるようになったTOUGHBOOKは、警察機関で採用されたことで、より多くの業界から注目されることになる。その中の一つとして登場したのがコーストガード、すなわち「沿岸警備隊」。救助を求められるハードな海象状況で行動する巡視艇でも使える「マリン仕様」のTOUGHBOOKが求められるようになる。

 ただし、コーストガードから求めれて初めてマリン仕様という言葉が出てきたわけではない。「TOUGHBOOKのビジネス展開を考えた場合、フィールドワークから車載PCと我々が想定していない分野に広がっていった。それを考えると、次の展開の一つとしてマリン仕様というのは、ごく普通に思いついた」(白土氏)開発陣は、TOUGHBOOKを改良することで海上でも使えるノートPCを作り上げようと、かなり以前から取り組んでいたという。

 耐衝撃性、防水防塵性という面ではある程度完成され、実績もあったので、取り掛かった当初は「簡単に出来上がる」(白土氏)と思っていたが、さにあらず。洋上実験を繰り替えるたびに改良点が発生する事態に直面した。

 8月の出荷に向けて現在も研究開発中ということで、すべての改良点について具体的なコメントは得られなかったが、それでもとくに苦慮したのが、海上で金属を扱うときに一番問題となる「電蝕」であったことを明らかにしてくれた。

 電蝕とは簡単に言うと、異なる金属が接触している部分(例えば筐体とヒンジやネジが触れている箇所)や、金属に電解質(塩分を含んでいる海水は格好の電解液)が触れると、一方の物質から電子を放出してイオン化することで腐蝕が一気に進み、金属がぼろぼろに崩れてしまう現象だ。船舶では、重要な電子機器や金属を電気腐蝕から守るために、電荷の高い金属(多くの場合鉛が使われる)を船体の金属部に取り付けて、身代わりにしている。海水条件にもよるが、8メートル程度の小型艇で握りこぶし大の鉛のブロックが一年でぼろぼろに崩れてしまうほどだ。

従来タイプのTOUGHBOOKに海水をかけた場合の腐蝕状態。かかった海水や塩分は「真水で丸洗いすれば落ちる」ということだが、電蝕で筐体がぼろぼろになるのは防げないようだ
腐蝕して筐体に穴があき、内部まで海水が浸入。基板や配線にダメージを与える

 TOUGHBOOKはマリン仕様が登場する前から、ヨットレースなどで利用されるケースも多かったという。とくに世界最大のヨットレースである「アメリカズカップ」の2003年キャンペーン(それとその前哨戦であるルイヴィトンカップ2002-2003キャンペーン)では、六つのシンジケートでTOUGHBOOKをヨットに搭載していた。オープンデッキで常時波を被る苛烈な状況で使われるわけだが、このような「海水を被り続ける」状況でなくても、海上や沿岸では波から吹き飛ばされた塩粒が筐体や筐体内部に付着し、周辺の湿気を吸い取って「海水」になることがよくある。

 いわば、マグネシウムの筐体や銅配線の内部基板を、常時海水に浸した状態になるわけで、これでは電蝕が進行して筐体も基板もぼろぼろになってしまう。さらに「ノートPCの筐体表面にはリークした微弱な電流が流れている。これが、電蝕をさらに進めてしまう」(白土氏)

 いったん筐体が腐蝕してしまうと、防塵防水を誇るTOUGHBOOKといえど、腐蝕した部分から海水や塩分、湿気が侵入して内部基板をだめにしてしまう。

 塩分対策、というよりは電蝕対策が「マリン仕様」のために必要になってくるわけだが、その具体的な対策としては、「ネジやヒンジの材質をノーマルタイプから非金属的なものに変更したり、漏れ電流を削減して筐体表面が電気を帯びないようにする。さらに、腐蝕に弱いマグネシウムパネルを塗装し、基板の表面を樹脂でコーティングすることで、金属を海水や塩分と直接触れさせないようにする」(白土氏)

 また、それと並んで大きな課題となっているのが、PCを船舶で使う場合に要求される法律の壁。日本のマリン業界でPC利用が進まないのも「小型船舶技術適合証明書で求める耐振動性や耐水性を満たせるPCがない」(光電製作所)という理由。TOUGHBOOKの登場でこの問題が解決できるかと思いきや、白土氏は「そのレベルを実現するのは並大抵のことでは難しい」と答える。

 舶用電子機器として認められるには、電磁波防止のEMCに加えて、船舶に設置される電気装置の規格である「IEC」で定められる基準を満たさなければならないが、この水準が「従来のPC機器に求められてきたテスト基準と比べて、とてつもなく高いレベル」(白土氏)。基準に達していることを証明するテストを実行するには膨大な労力とコストが必要とされる。

 「メインシステムとして使うのではなく、サブシステムとして利用する機器に対しても同じ水準のテストを求めているが、これは現実的ではないと思う。使用目的によって、規格を分割し、求める基準を変えるようにすれば、もっとPCの導入は進むのではないだろうか」(白土氏)

海水の浸入に対して最も弱いのがコネクタ部分。TOUGHBOOKでは防塵防水性能のためにポートリプリケータを用意。ケーブルにもステンレスと金メッキされた専用のものが用意される

 現在、8月の出荷に向けて改良作業を進めているが、「知れば知るほど改善しなければならない項目が見えてくる」(白土氏)と、簡単と思っていたマリン仕様の開発には、さまざまなブレイクスルーが必要になっているらしい。それだけに「我々はTOUGHBOOKという下地があってもこれだけ時間がかかっている。ほかのメーカーが同じものを作ろうと思っても、下地がなければ海に関するノウハウの蓄積もない。それがTOUGHBOOKの強みになるだろう」と自信をのぞかせる。

 当面、マリン仕様TOUGHBOOKは米国の業務市場で展開し、その流れに日本のマリン市場が追従し始めるころから日本でも「業務向け」に乗り出す予定になっている。残念ながら日本のコンシューマー向け市場は今のところ大きなビジネスになると思われていないようだ。白土氏も「ボートショーに出展しているプレジャーボート関連業者と意見を交換して見たが、PC利用に対する知識と意識が米国の5〜6年は遅れている」という感想をもらしていた。

 しかし、PCナビゲーション関連の情報やインターネットで入手できる専門情報の活用方法などを、プレジャーボートユーザーがWebページやメーリングリストで積極的に提供している状況や、その内容のレベルの高さを見ていると、プレジャーボードにおけるPC活用に関しては「業者よりもユーザーのほうが意識とノウハウは進んでいる」というのが正直な記者の印象である。

 業務用のメインシステムではなく、コンシューマーの補助システムとして展開すれば、広く受け入れられるだけのテクニックとノウハウを日本のユーザーは有していると思う。現在「マリン市場を調査中」ということなので、「俺ならこうして使って見せるから、早く日本でも展開してくれ」という意見をもっている「船長」さんたちは、どんどんリクエストを出してみてはいかがだろうか。

TOUGHBOOKのみならず、Let's noteシリーズの機構設計のリーダーでもある白土氏。何でも釣りが趣味とか。開発陣にはバリバリのヨットレーサーもいるそうで、「趣味と実益」を兼ねているのは記者だけではないようだ

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