インタビュー2008年07月30日 16時00分 更新
ASCII×ITmedia アキバ対談(前編):電気街が“萌え”た日、そこには等身大の綾波レイがいた (1/5)ASCII.jpとITmediaのアキバ系ライターが対談を実施。ここ10年に起きた秋葉原の変化や今後の動向を再確認し、マスメディアが報じるアキバの風景に修正を入れる。歩行者天国のパフォーマンスが加熱して以降、コスプレをして歩く集団やオタ芸、露出狂女性などが“アキバの代表的な光景”としてテレビや週刊誌を賑わせた。そして6月、あの殺傷事件が発生したことにより、秋葉原に関する報道はピークに達する。しかし、これらの切り取られた秋葉原像が、街の実像をありのままに映し出しているとは言い難い。それでは、実際はどんな街なのか。 某日、秋葉原電気街の玄関口にある老舗の珈琲店・古炉奈に、ITmediaとASCII.jpの編集者およびライターが集結。個室を借り切り、ホワイトボードに「対談・秋葉原」と脱力した字で書き込んだ。 藤山×古田の「私と秋葉原」──まずは自己紹介をお願いします。「私と秋葉原」で(笑) 藤山氏 ぼくがはじめて秋葉原に来たのは小学3年生のころ。当時は自作ラジオとかに興味があって、電子サイコロのパーツを買い求めて。中学生になると「MZ-80」という高価なPCが売り出されたので、ショップに頻繁に触りに来ました。ずっと横浜に住んでたんだけど、月イチくらいで足を運んでいた。あのころはパーツを買って、交通博物館で電車のシミュレーターを遊んで帰るのがお決まりのパターン。 実際に自分でPCを持ったのは高校生になってから。持っていたシャープの「X1」はテレビも見られたので、プログラミングをしながら番組を眺めるという日常になって、そこでたまたま「クリーミーマミ」を見たのが、ぼくのアニメの原体験だね。 高校を卒業したあとは、ロケット本店でバイトをしていました。あとは、浪人中にパソコン通信が流行って、コミケもできて、どちらも参加した。コミケではゲーム系のエロCGを作っていたから、今の仕事のルーツはそこらへんにあるかも(笑)。 ──現在に至るまで、秋葉原を離れた時期はない? 藤山氏 ないですね。専門学校ではロボットを専攻して、一時期会社に入ってマニュアル本を作っていたときも、仕事と私用で秋葉原に通っていた。 ──古田さんはどうですか? 古田氏 2002年まで、秋葉原はまったくの他人でした。生まれから大学まで名古屋でしたし、PCもアニメもまったく興味がなかったんですよ。ガンダムやエヴァンゲリオンは知ってましたが、流行りモノが嫌いだったので「ケッ」って感じで見向きもしなかった。中学時代は一人でいそいそと古銭を集めていました。 2000年に大学を卒業して上京したのですが、仕事は建設業と葬儀業を渡り歩くという、これまた秋葉原と全然リンクしない毎日。その後、2002年に入った編集プロダクションがたまたまPC系だったので、そこではじめて秋葉原という街に行ったんです。 それで、PC用語集を単語カードで丸暗記したりして知識をつけていった。だから、ぼくにとって秋葉原は、ビジネスパートナーみたいな感じなんですよ。今はプライベートで自作マシンを組んだりしますけど、やっぱり根底にはユーザーとしてではなく、調査者や傍観者として秋葉原と向き合っている意識がありますね。 ──藤山さんとはまったく逆ですね。 古田氏 もちろん、藤山さんみたいな“アキバの達人”に対して、コンプレックスはありますけどね(笑)。ただ、2002年当時はWindows XPが出たばかりの時期で、PCパーツショップが間違いなくアキバの主役でした。自作PCがすごく盛り上がっていて、ぼくみたいな新人ライターも、そこに仕事を求めていったという背景があります。 藤山氏 それって、ちょうどメイド喫茶ができたころだよね。行きました? 古田氏 一回取材で……。 藤山氏 通わなかった?(笑) 古田氏 通わなかったですね。 藤山氏 へ〜、ぼく通っちゃいましたよ(笑) [古田雄介&ITmedia アキバ取材班,ITmedia] Copyright© 2010 ITmedia, Inc. All Rights Reserved. Special
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