最後の第3ステージは、3DMark 2011 SEをなんと3時間に渡って走らせまくるという、最後の最後で体力と精神力をぎりぎりまでしぼりとる戦いが待っていた。そして、KATANA JAPANはまたしてもBIOSが飛んだ……。MSIスタッフと復旧作業にかかるがBIOS起動までたどり着かない。残り時間2時間30分を切って、ようやくBIOSが復活した。すでに約30分をロスしている。ほかのチームはスコアを多数エントリーしており、トップはOVER THE EDGEの124255だ。ただ、この時点までにスコアをエントリーしているチームは、第1ステージ、第2ステージともに上位記録を出していない。KATANA JAPANはまだまだ追いかけることができる。
KATANA JAPANのマシンは安定せず、結局、予備のCPUに交換してようやく起動した。残り2時間15分で、まだ安定動作のセッティングを探っている段階だ。この時点でHWBOX.grがスコア124793を登録し、総合ポイント144.344でトップを奪う。日本の予備CPUは動作クロックが上がらない。しかし、残り時間2時間を切ったあたりからCPUのセッティングに“当たり”が出始めた。残り1時間40分で、KATANA JAPANもようやく最初のスコアとなる124943をエントリーした。これでも、まだまだ上位の域に達していない。この時点で、トップはLab 501で3DMark 2001 SEが126730、2位がHWBOX.grは128963と、ハイスコアで推移している。
日本はExpandablesに続いて4位まで上がってきた。トップとのスコア差は1.6ポイントだ。日本のCPUは状態がいい。負荷の軽いベンチマークテストということもあるが、もっと上を狙えるかもしれない。ただ、3DMark 2001 SEはマシンを再起動するとスコアが高くなるが、それはリスクが高い。
KATANA JAPANは、残り1時間15分にスコア126609で2回目の申告を行う。世界決勝でもトップクラスの値だが、Lab 501、Expandables、HWBOX.grに届かない。残り1時間でHWBOX.grが13万を超えるスコアを出してきた。KATANA JAPANは、ここでGPUのコアクロックを1400MHzまで一気に上げたがマシンが安定しない。1350MHzまで下げても安定しない。配布されたグラフィックスカードは、どうもスコアが伸びないようだ。しかし、残り時間45分では予備のグラフィックスカードに交換する時間もない。
KATANA JAPANは、独のBenchBrosにも抜かされて5位に下がる。マシンが安定しない原因をGPUがマイナス40度と冷えすぎたためと考えて冷却温度を上げてみる。 残り20分で冷却温度をマイナス35度にしてから、スコアは126903とわずかながらも伸びてきた。残り時間10分で127240を達成。トップ3は12万8000台以上を出している。
残り8秒でラストランに挑んだが、残り0秒でスタートを押す直前にマシンがハングアップ。KATANA JAPANの戦いは終わった。総合5位。
オーバークロックは使うパーツの品質で決まってしまうでしょう、と多くの自作PCユーザーがいうが、KATANA JAPANは、配られたパーツの出来不出来を理由にすることなく、自分たちの持つ技術を最大限に繰り出して列強の欧州チームに戦いを挑み、事実、彼らを脅かすほどに健闘した。
CAL930氏は、「国際大会におけるオーバークロックの戦いは、実戦の経験とそこで蓄積されるテクニックの多さで決まる」という。大会ではどんなことが起こるのか分からない。必ず何かが起きる。その起こったことに適切に対応できるかが戦いを決める。欧州、北米、東南アジアではそういう経験を積めるオーバークロック大会が数多く行われている。だから、彼らは強いのだという。使うパーツの運不運ではない。大会で常勝チーム集団が必ずトップを競うのがそのことを証明している。
KATANA JAPANのメンバーが国際大会で戦う理由は、自分たちの栄光のためでない。日本のオーバークロッカーのレベルを世界列強に知らしめるための戦いであり、そして、日本でオーバークロッカーというジャンルが普及するための戦いであった。
彼らの戦いとその技術力は、世界の強豪たちを苦しめ脅かすことで日本のオーバークロッカーのレベルの高さを世界に示すことができた。KATANA JAPANに不足していたものがあるとすれば、それは、実戦だけだ。彼らが戦う機会と場所が日本でもっと多く提供されることで、日本でも世界のオーバークロックに目を向けられるユーザーが誕生するチャンスが与えられることを、台北の決勝会場で強く思った。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.