> コラム 2003年12月24日 08:35 PM 更新

デジタル写真時代の表現者 #004
堤長則氏の現場(1/2)

モノ・マガジンの創刊時より、発行元のワールドフォトプレスに在籍、同社のチーフカメラマンである堤長則氏に取材すべく、コンタクトを求めた。取材場所は氏の自宅があるマンションの1F。氏の夫人が経営する駒込のネパール料理店「カトマンドゥ」に押し掛けた。余談だがこのお店、地元では人気の有名店らしく、出されたチャイがじつにうまかった。

ブツ撮りのエキスパート集団「モノ・マガジン」

 今回は、雑誌モノ・マガジン(発行元:ワールドフォトプレス)の創刊時より、撮影スタッフのチーフを担当している堤長則氏を訪ねた。

 モノ・マガジンといえばグッズ紹介誌の元祖で、角版にも切り抜きにも使用できる「グレーバック撮影による商品写真」を最初に考案、実施した媒体だ。社員カメラマンはブツ撮り(商品撮影)のスペシャリストたちが結集している。そしてワールドフォトプレス社において、堤氏には写真部部長のタイトル(肩書き)が付いている。

 「創刊のときからずっといるというだけで……。いつの間にか(笑)。そもそも入社のきかっけは、30代の前半頃にスタジオカメラマンをやっていたときのことです。ワールドフォトプレスのムックで、ナイフのブツ撮りを大量に受ける仕事があったんです。日に100カット、200カットと撮り続けていました。そのときに、スタジオへ現れた社長との出会いが始まり……」


非発光。光を上手に取り込むデジタルカメラならではの一枚


レンズが被写体の下に潜り込めるのがコンパクトカメラの利点

 ワールドフォトプレスの社長・今井今朝春氏は、自身も写真家の出身であり、社名にもその思い入れが表れている。モノ・マガジン創刊を構想中だった今井氏は、堤氏のテンポ良い仕事さばきに目を付けたのだろう。自社にスカウトしたというわけだ。

 「ダマされて入ったんですよ(笑)。まあ、それは冗談ですが、当時の私は日に3時間も寝れば体力が持続しました。そのあたりの馬力が頼もしかったのかもしれませんね。いま、そんなことをやったら死にますが(笑)」

 日々、大量のブツ撮りが発生するモノ・マガジンでは、感材費や現像費のコストが大変なものだった。しかしキヤノンEOS D60の登場を機に、社内における撮影はデジタルに転換していく。

 「もはや35mmの仕事はデジタルでいける、という判断をさせてくれたのがD60です。それによってウチと取引している現像所は、扱いが激減してしまいました。わずかながら4×5で撮って見開きに伸ばすようなカットもありますが、フィルムの現像を発注する量はかつての1/10を切っています」

 D60のサブカメラには、同じくキヤノンのPowerShot G2を使っているという堤氏。その理由は、D60とバッテリを共有できるからだという。

 「おまけにホットシューが付いているので、マニュアル撮影時に外部ストロボが使えます。アダプタを付ければシンクロも可能。画素数はオーバースペックである必要はないので、サブとメインの機材は今のところ、この2台で十分です」

 編集部が撮影をデジタル化したメリットは、じつは堤氏個人にとって絶大なものがあった。それは……。

じつは写真をやめようと思ったことも……

 学生時代は油絵をやっていたという堤氏。絵画の写実主義を学んで点描を描くようになり、点描の行き着くところに写真があった。写真学校に入り、そしてスタジオカメラマンとしてプロの撮影者となる。しかし、もともとはアート志向で始めた写真である。仕事の時間外で、作品づくりとして写真を撮り続けてきた堤氏だが、写真に限界を感じやめようと思ったこともあるという。

 「写真は表現に限りがあるんです。当たり前のことですが、写真はそこにあるものしか撮れないでしょう。しかし絵であれば足したり引いたり、可能な時間まで書くことができるし、絵より劣るように思えた時期がありましたね」

 思い通りの作品に仕上がらないもどかしさを抱えていたところに、デジタルによる画像処理と出会った。加工することによって、写真は絵画に近づく。新しい表現方法が出てきた。堤氏はそう感じた。

[島津篤志(電塾会友), ITmedia ]

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