ITmedia NEWS >

れこめんどDVD:「猫目小僧」DVDレビュー(2/2 ページ)

» 2006年11月10日 20時03分 公開
[皆川ちか,ITmedia]
前のページへ 1|2       

猫目小僧の声の主は……

 漫画版よりもややぽっちゃりとした猫目小僧は、原作のビジュアルそっくりな特殊スーツを着用した女性アクターが演じている。この猫目がもう最高。黒のとっくりセーターに半ズボンのクールなファッション。一匹狼ならぬ孤高の一匹猫で、まゆかへの恋心をストレートに表現しないシャイ野郎。棒に風呂敷包みを結わえて背負い田畑を歩くシーンには、あまりに牧歌的な風景に猫目が違和感なく溶け込んでいて軽く目眩がしました。

 さらに、猫目の声を当てているのは、「オラ、しんのすけ」の声優・矢島晶子。漫画の質感をそのままに再現した猫目小僧の存在によって、この映画は実写でありながらどこか漫画的な、特撮ものともちがう現実とファンタジーの間(あわい)にあるようだ。

楳図かずおと井口監督の、トラウマという共通項

 猫目小僧以外の登場人物たちも、どこかヘンテコ。まゆかを目の敵にする美少女・京子さんは、鞄から食パンを取り出してまゆかに投げつける(なんでパンなの?)。竹中直人演じる妖怪・ギョロリは格闘しながら猫目に「お前、太ってるくせに強いな」と、どうでもいいことを言うし、ギョロリに怯える村のおっさんたちは、「あいつを見なければいいんじゃ」と自ら目を潰す。このシーンは原作にもそのままあります。井口昇のヘンテコと楳図かずおのヘンテコは、つながっているのら。

 もうひとつ、2人の共通項がある。それは、美醜や性的なものから生まれるコンプレックスやトラウマだ。井口昇映画の特徴は、ずばりトラウマである。傷を抱えて、それ故にちょっとヘンテコになってしまった人たちを愛情深く、しかし露悪的に描かせたらこの監督は唯一無二。自身が重度のトラウマ持ちだからだろう。

 井口昇にとってのトラウマとは、消し去るべきものではない。長年自分とともにあって、苦しめ、傷つけられてきたトラウマは、もう分かちがたい自分の一部だ。そんな馴染みのある傷を消去――いわゆる癒しと呼ぶアレ――してしまって、どうしてハッピーになれるというのか。

 傷を否定することは、傷を持つ人間を否定することでもある。だいたいトラウマとは消えるものなのか?なぜ傷は消したり隠したり、人目に付かないようにしなければいけないのか?トラウマを負った人間は、忌まわしいものなのか?真面目にして純粋な問いかけ。この視線は、当事者でなければ生まれないまなざしだ。

過剰で異様で純粋な作品

 本作では、ヒロイン・まゆかの顔左半分にある大きな痣という形で、それが表れる。人間のような外見のために妖怪から疎まれる猫目小僧と、痣が原因でクラスメイトから迫害されるまゆかは、双子のように対の存在だ。

 まゆかは猫目小僧の不思議な唾で、その痣を舐めて消しとってもらう。痣のなくなったまゆかは容姿への引け目も消えて明るくなり、イケメンな先輩といい雰囲気になり、つぶやきシローから袋叩きにされる猫目小僧を、見て見ぬふりをする。

 痣が消えたことによって、まゆかはもう猫目と同じ側ではなくなった。醜い妖怪はいくら痛めつけてもいいのだ、という側に行ってしまった。残酷でリアル。しかし、しかしその後、物語はとても感動的な場所に着地する。癒しで解決させない(できない)、現実的で優しい場所に。

 トラウマとどう付き合っていくか。本当の美しさってなんなのか――井口昇がこれまで何度も繰り返してきた強迫観念的なテーゼが原作とリンクして、「猫目小僧」は過剰で異様で純粋な映画となった。過剰で異様で、純粋。それは楳図かずお漫画の魅力、そのもの。

前のページへ 1|2       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.