リビング+:連載 2003/01/20 20:52:00 更新

田舎暮らしとブロードバンド〜地域イントラネット奮闘記
簡単には手に入らなかったブロードバンド環境

ネットワークによる情報化が進めば、自分の居場所はどこだろうと関係なくなる。それは決して間違いではないだろう。しかし、現実には、そこまで達するにはさまざまな障壁がある。この連載では、田舎暮らしを始めたところ満足な接続環境を得られず、地域イントラネット構築にかかわることで、ようやくブロードバンド環境を得た体験記を紹介したい。さらに、「コミュニティへのイントラネット導入」の姿を眺めることで、「家庭へのホームネットワーク導入」におけるヒントや問題点も見えてくるのではないだろうか。

 私はいまどき、ダメな人間かもしれない。パーソナルコンピュータとのつきあいはずいぶんと長いが、颯爽とモバイルしているわけでもなく、もちろんPDAも持っていない。ましてや携帯電話もいまだに満足に使えないし、子供に使い方を聞くありさま。このチャンネルをご覧になっている方々には、まったく紹介するのもはばかられる姿だろう。そんな私は、いま地方都市と呼ばれる地域に居を構えている。そして、ブロードバンドは、もはや欠かせない存在だ。

 しかし、その接続環境は簡単に得られたものではなく、「いわば何もない状態」から、地域イントラネット構築に積極的に参加することで、ようやく手に入れたものだ。最初はISDN、OCN接続によるスモールプロバイダを自治会で構築し、アクセスサーバやHTTPサーバの運用管理などを自ら行った。その後、対象地域を拡大した新たなモデル事業に参加することで、現在のCATVによる高速常時接続が実現した。

 この連載では、紆余曲折を経てブロードバンド環境を手に入れるまでの奮闘を紹介しながら、地方の情報インフラ整備、また家庭でのネットワーク活用事例など、現在進行している地方の情報化の生の姿を、こんな我が家、私の目を通して紹介してみたいと思う。

情報はどこにいても手に入る、はずだった……

 居を移したのは、田舎暮らしにあこがれてというわけではないけれど、情報が飛び交いネットワーク化が加速する都会の暮らしの中で、「最も手に入れにくいのは生の自然、人が加工しない前の生の情報に触れること。暮らしの中で得られる広い意味での情報の姿かも?」と、ふと思い立ち、住み慣れた東京を離れて早7年が過ぎようとしている。

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 ここ岡山県のほぼ中央部、吉備高原都市の新居に引っ越しのトラックがついたのは、1996年の春のこと。標高300〜400mの中山間地に位置する新計画都市。関東でいえば、軽井沢のような場所だ。「自然に囲まれた素晴らしい環境に今日的な情報インフラ!」というキャッチにひかれたことはもちろん、私の仕事が住まいする場所に依存しない仕事であったということも決断できた理由といえる。また、当時すでに一般にも広まりつつあったパソコン通信のメール環境に加え、徐々に普及を始めたインターネット環境への期待もあり、「いまどき、どこにいてもいいのでは」と考えたわけである。

 引っ越し早々、ネットにつなぐ環境をと思った瞬間、NTTさんの「その地域のISDNサポート時期は未定です」のつれないお言葉。見事、出鼻をくじかれてしまった。当時、個人での高速ネット接続環境といえば、ISDNによるダイヤルアップ接続。それすらも手にできないとは、「今日的な情報インフラって……誇大広告だったのか?」。その後、紆余曲折あってISDN回線を手に入れ、現在は、CATVを使ったケーブル接続、とりあえずはブロードバンド環境となっている。世間ではブロードバンド接続が数百万世帯突破なんて威勢のいい話が聞こえる現在からすれば、嘘みたいな話だ。とはいえ、一歩この地域を出ると、当時とあまり変わりない状況が続いている。信じられるだろうか?

「暮らしが育てた価値観」に触れるため

 初回ということで、自己紹介がてら、私の職業と住処の関係にも触れておこう。

 私が関わっているのは、世間一般的に「日本画」と呼ばれる絵画である。東京などでは多くの展覧会が開かれ、実際にそれらを見ることができる。しかし、それでも、この「日本画」という言葉の意味するところを明快に解説してくれるような情報は案外ない、と感じていた。無論、Webサイトなどで紹介されている画像や文章などでも、一般的な平面絵画とのビジュアルとしての違いをなかなか発見できないように思う。

 この「日本画」という言葉は、もちろん「日本」という国名と絵という意味の「画」を組み合わせた言葉である。昨今、「プチナショナリズム」などという言葉を聞くようになったが、「国の絵画」という意味がどのような姿で存在するのか? そんな疑問にもぶつかってしまう。

 私自身、日本画を描いてはいるが、明快にこの答えを紹介するのは難しい。しかし、おおまかには(詳細は省くが)地理的国の位置、形態、かかわるその自然の有様、人々の暮らしが育てた価値観の所産だろうと目星をつけた。そして、その絵画の姿、ひいては自分自身を探し描く者の一人として、価値観の基本となったであろう自然とともに暮らす生活を始めたのだ。すこし言葉を加えるとすれば、過去の「暮らしが育てた価値観」の手がかりは、素材、そして、その使い方、技術に明確に表れていると思っている。

 現在の世間の現状、有様、いまという現実を良しとすれば、もはや、何でもありの世界。呼称自体が無に帰しそうな世界にも感じられる。言葉、呼称自体は知っていてもそれが何を意味するのかを知らない。社会の中で、既知のこととしてこれまで具体的に説明されず置き去りにされてきたさまざまな事柄、物が消えていく姿。情報化する社会の中で、あえて知ろうとし、伝えようとしなければ、失われてしまいそうな価値観に、私は向き合ってみたいと感じていたのだ。

ネットワーク社会ゆえの……

 少し前、Webでの作品紹介が思わぬ出会いを生むことも経験した。ひっそりと自己満足的に行っている私の個人サイトに、たまたまの検索結果が結ぶ縁で訪問者が訪れ、海外から購入を希望されたのだ。今回の場合、「とても光栄な申し出だが、私が旧来の流通の中にいるため(現在は)直販はしない」ということをメールしてご理解いただいたのだが、確実に時代が変わっているのを感じた瞬間だった。

 今後、既成のビジネスが来るべきネットワーク社会への対応をどのように果たすのか? 私が関わっている美術業界も無関係ではいられないと思ったのだ。

 業界、会社など、あらゆる組織が今後存在していくためには、ネットワーク社会対応が否応なく求められるだろう。もちろん個人としての対応も重要になってくるにちがいない。自分自身のプレゼンテーションをいかに行うか? 関わるもの、事柄、仕事など、もし大切にしたい、伝えたいと思ったときにどのようにネットワークを利用するか、できるか。そういったことが求められる時代になったと思うのだ。


 前置きはこんなところで、次回は具体的に「事業採算性の問題からなかなかインフラ整備がままならないような地域が、いかにしてIT対応、情報インフラを手に入れたか?」をお話ししていこうと思う。

記事バックナンバー
[第6回]地域イントラ総括、すべては安心と信頼のために
[第5回]誰がどうやって情報を発信するのか?
[第4回]常時接続で活発化した「普通の住民」のネット利用
[第3回]ダイヤルアップながら接続は完了。しかし、サーバの日常運用も住民自ら……
[第2回]接続インフラすら整備されていない状態からのスタート
[第1回]簡単には手に入らなかったブロードバンド環境

関連リンク
▼著者のホームページ

[森山知己,ITmedia]



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