リビング+:連載 2003/02/03 14:52:00 更新

田舎暮らしとブロードバンド〜地域イントラネット奮闘記(3)
ダイヤルアップながら接続は完了。しかし、サーバの日常運用も住民自ら……

ネットワークを接続する形態は見る見るうちに変化していく。われわれ一般ユーザーのレベルにおいても、パソコン通信サーバへの直接ダイアルアップがインターネットへのPPP接続となり、さらに回線自体も進化・多様化してきた。ここで紹介している地域イントラネットにしても、最初はOCNエコノミーをアップリンクとしたスモールプロバイダから始まったのだ。

 地域イントラネットってどんなものだろう。東京で暮らしていたときは、考えたこともないテーマだった。情報インフラの整備にはやはりお金が必要となる。事業採算ベースで民間企業の手では整備されないような地域は、置き去りになってもいいのだろうか? 国策として進むIT化は否応なくそういった地域も巻き込む。うがった見方だが、公的な補助で整備せざるをえないような地域を整備するのに、正当化する理由となるようなテーマ獲得にすぎないのかもしれない。

 だが、電子政府、電子自治体の実現に必要なインフラ構築は、民間だけでは行き届かないのも事実。多くの国民の利便性を高め、なおかつ新たな経済構築の基盤・担い手になりうるよう育てるためには必要な措置といえる。同時にこれで行政のスリム化、情報公開が達成されればいうことはないのだが……。

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パソコンの必要性は理解できても、ネットワークでつなぐ必要性は……

 さて、私が住んでいる町におけるインフラ獲得が、行政の実験事業に乗るかたちで行われたことは前回紹介した。テーマは「地域イントラネット構築実験」。当初、ネットワーク運用実験のはずなのに、利用可能なネットワークは存在しなかったのだ。そこで、まず、使えるネットワーク構築、獲得に向けて動き出した。民間企業の参入が望めない状況で、自前での構築となったわけである。だが、初めはパソコンを含む情報機器と呼ばれるものの理解から参加メンバーで始める段階から。理解とはいっても、触ってみるという程度だったのだが……。

 当時、印象深い出来事に、参加したメンバーの中にパソコンは利用しているものの、いまだ、スタンドアロンでの利用への固執も一部見られたということがある。ネットワーク実験のはずなのに、つながるという意味を特に見出せていない。さしずめ、Microsoft WordやExcel、PowerPoint、Adobe Photoshopなど、アプリケーションを使えればそれでいいという意識のようだった。

 日常、パソコンに触れないで生活できる人々が、個別のアプリケーション利用講習会に集まる姿が見られた。まだまだインターネット黎明期、Windows 3.1 MacOS 7.5の頃の話。メンバーはおろか、そもそも住民数自体が少ないのだから、一箇所に集まってわいわいやれる! それゆえ、本質的には電子化する必然性が感じられなくても、無理はないともいえる。われわれ住民はもちろん、当時、身近な地域行政の担当者にしても、まだまだネットワーク理解には乏しい状況だったのだ。必要性が認識できていない状況では、理解をえるのも難しい。

自治会によるサーバ運用が開始

 同時に、主要参加メンバーが商用プロバイダと契約し、いわゆる普通のパソコン通信を始めた。前回書いたように、まずはメールによる情報共有をスタートしたのだ。その後、独自でインターネットサーバを自治会の集会所に設置構築し、ダイヤルアップアクセスポイントを設けた。各家庭からはそれぞれダイヤルアップでアクセスとなる。アップリンクはOCNエコノミー。実質、この整備予算獲得にしても、かなりの労力を割いて文書を作成した。またワーキンググループとしてコンサル企業についてもらったことが実現に大きな意味を持った。また、県の情報政策課ならびに実験推進協議会の担当方々も、この地の「住民が自ら行おうとしているエネルギー」に共感してくださった。

 これにより、1997年、CATV回線(吉備高原都市は双方向通信化可能な「回線ケーブル」だけは開発当初から施設済みだったのだ)利用のインフラ整備はかなわなかったものの、ダイヤルアップにより各家庭からサーバにアクセスするシステム設置予算措置が通過。OCNエコノミーをアップリンクとした、インターネットサイト、イントラネットサイトが実現したのは1998年3月。http://www.kibicity.gr.jp/の誕生だ(現在は稼働していない。直接の関係はないものの、新地域イントラネット構築モデル事業、http://www.kibicity.ne.jp/に発展的移行)。これに際しては、NTTにOCNエコノミーの早期整備を陳情にも行った。当時、こうしたOCNエコノミーを使ったスモールプロバイダの構築は、多くの地域で見られたものだが、岡山県の中山間部ではかなり早い導入だったと思う。なにしろ、自治会がドメインを持っていたのだから……。

写真
集会所に設置されたネットワーク機器の様子

どう利用するか、運用していくか。それも住民の手に委ねられた

 ダイヤルアップ、インターネットベースという形態ながらも、イントラネットのシステムは構築された。機器選定はコンサル企業だった松下電器、システム初期設定はPFUの担当SEに行っていただいたが、Web構築・稼働までにやることは山ほどあった。UNIX(Solaris)の操作・設定から手をつけ、サーバ管理、Webページ作成、メールサーバの設定など、日常運用はすべて住民の手に委ねられたのだ。そのうえで、「どのように使いたいか?」を、自分たち自身が考える必要もあった。覚えることは山ほどあったが、われわれ技術部(!)メンバーはそれなりに面白がってやったものだ。

 当時の担当SEさんには、本来の仕事以上に面倒を見てもらった。あとでその方がそっと教えてくださったのだが、「普通の住民の方々が使い……、管理していけるのか……(きっとできない……)」と思ったそうだ。いま思えば、無謀ともいえる試みだったが、とにかく自分たちで動かそうと、考え、行動したわけである。サイト構築、必要な機能実現のためのCGIプログラミングなど、そのつど解決策を探し、勉強しつつ作成し、知識を手に入れていった。

 この時の経験が現在までつながっているのだが、こうして積極的に参加し、主体となってシステム構築に関わったことが、結果的には非常によかったと思う。というのも、お仕着せのシステムではできないことがわかったり、どのように構築したほうが供給者側ではなく利用者側(住民)にとって便利か、なんてことも理解できたからだ。

図
当時のシステム構成図

当時のわが家のネットワーク環境

 さて、ダイヤルアップ接続が実現された当時、わが家のPC利用環境はというと、ご多分にもれず、1台のPCとアナログモデムを使っての利用だった。28.8kbps接続時代の話だ。すでに複数台のPCを所有してはいたが、電話のモジュラージャックにつなげる場所にあるのみという限定されたアクセスである。その後、回線がISDNとなった段階で、ダイヤルアップルータを使い、ネットワークハブを使った家庭内LANによる利用形態に移行。ようやく、複数台のPCそれぞれが家庭内LAN、外部インターネットを意識せずに使える環境となった。

 LinuxやBSDを使って、家庭内サーバを立ち上げても見たのもこの頃。しかし、ファイル共有、家庭内Webなどと、練習がてらサーバ構築したものの長く運用を続けることはなかった。利用したPCが古かったせいもあり、とにかくずっと動作させておく際の騒音に辟易したのを覚えている。また、LANを使ったPC間のデータ転送も遅かった。ましてや、当時は家庭内サーバの必然性を感じるほどの使い方をしていなかったのだから……。

写真
私のパソコン部屋は屋根裏の一室

 それに、設置場所に関してもいろいろと試したが、まだまだPCを自由に家のあちこちに配置するという必然性は薄かった。家庭内ネットワークとはいえ、たいてい、特定の1つの部屋の中での利用にすぎない。それは使い方という意味でもいえ、家庭内で使うのは自分1人だけで、たまに家族が使うことがあっても、その部屋に使いにきてもらえばいい程度の利用だったわけだ。しかし、時代の流れは家族の暮らし方も変えていく。その後、どう変化していったかは、また別の回に。

記事バックナンバー
[第6回]地域イントラ総括、すべては安心と信頼のために
[第5回]誰がどうやって情報を発信するのか?
[第4回]常時接続で活発化した「普通の住民」のネット利用
[第3回]ダイヤルアップながら接続は完了。しかし、サーバの日常運用も住民自ら……
[第2回]接続インフラすら整備されていない状態からのスタート
[第1回]簡単には手に入らなかったブロードバンド環境

関連リンク
▼著者のホームページ

[森山知己,ITmedia]



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