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チベット仏教――神秘的な寺院での生活に憧れる若者
宗教とともに生活する“チベットの神秘性”

 世界中の人々を惹きつけてやまない“チベットの神秘性”とは、人々の心に根付く強烈な宗教観から発していることは間違いない。

 チベットの人々の生活は、宗教とともにある。朝は暗いうちから、寺院をコルラ(聖地を巡礼するという意味。右回りに歩く)したり、マニ車(「オムマニペメフム」という真言が書かれている。一度回すと、書かれている数の経文を唱えたことになる、ある意味オートマティックな設備である)を回す人々で溢れている。

チベット仏教

 体を全部地面に投げ出す“五体投地”という祈り方で、祈ってはまた立ち上がり、尺取り虫のようにずりずりと前進する信者の姿には、鬼気迫るものを感じて圧倒されてしまった。

 聖樹が植えられている青海省の西寧市にある大寺院・塔爾(タール)寺の本堂では、お百度参りならぬ“10万回五体投地”に励む参拝者の姿も多く見かけた。参拝者の年齢や健康状態にもよるが、だいたい約1カ月で達成していくそう。1日にすると約3333回、寝ている時と食事の時以外は1日中、祈り続けている計算になる。相当な運動量になるはずで、ビリーズ・ブートキャンプもびっくりである!

五体投地

 彼らは何を、なぜに、そんなに祈り続けているのだろうか。「あの……仕事や生活はどうするんですか?」という素朴な疑問を問いただしたくなるのは、資本主義社会に生きる人間の宿痾である。

 彼らはただただ祈っているのである。何を? それは、来世の幸福である。

 貴族と貧困層が混在するチベットは、生まれによって一生が決まってしまうといっても過言ではない極度の格差社会である。けれども、“勝ち組・負け組”という意識を彼らは持たず、持てる人を羨むこともない。輪廻転生(生まれ変わり)を信じる彼らは、恵まれた生活もそうではない生活も、すべては前世の行いによるものと考え、今日も来世へ想いを馳せて祈るのである。

 そんな宇宙的スローライフに魅せられて、なんと出家までしてしまう漢民族の若者もいる。

 私が訪れたのは、青蔵鉄道が通ったといえ、まだまだアクセスの不便な標高約4000メートルの東チベット・カム地方。富士山よりも遙か上に高原が広がる“太陽部落”と呼ばれる地域だ。そこに暮らすのは康巴(カンパ)族と呼ばれる部族で、精悍な風貌、色とりどりの毛皮や帽子、装身具を身につけた華やかな外見により、世界で最も美しいと言われる部族である。

東チベット・カム地方

 中国西部地方への移民政策を推進している中国政府の後押しにより、チベットの省都である拉薩(ラサ)はチベット族と漢民族の人口比率がほぼ5:5とのことだが、ここ太陽部落にも漢民族の若者が増えてきている。康巴の人々の信仰のよりどころである石渠(セルシュ)の寺院には、出家と在家合わせて1000人以上の僧侶がおり、そのうち約1割が漢民族の出家僧なのだそう(欧米人の姿もちらほらと!)。漢民族の出家僧は、同じように日に焼けた赤銅色の肌をしてはいても、康巴族と比べて小柄なので割と目立つ存在である。

石渠(セルシュ)の寺院

 チベットの僧侶の生活は、ストイックそのもの。肉食は許されるが、結婚はできない。朝は6時から夜は9時頃まで、寺院の業務と経文の勉強に明け暮れる。食事もほかの僧侶たちと同じ、ヤクの乳で作られたヨーグルトやバター茶、ツァンパ(雑穀の粉)が主である。たとえチベットの神秘に魅せられても“憧れ”や“自分探し”だけでは、到底続けられるものではない。

チベットの僧侶の生活

 「宗教が同じであれば、子供の結婚相手がどの民族であろうと構わないわ」

 これは、この地域を治める副知事の奥方の言葉である。かくも宗教観はチベットの人々にとって大切なものなのである。

 チベットの自然環境は厳しい。酸素は薄く、冬ともなれば、陽が落ちるとあっという間に身も凍る寒さが訪れる。チベットと中国の間には複雑な関係があっても、同じ風土に暮らし、同じ釜の飯を食べる仲間として、若い世代の交流に大きな軋轢はないように思えたのであった。

チベットの人々

取材・文/似鳥 陽子

撮影/永山 昌克